今回の大会開催地である名古屋市は愛知県西部・尾張地方の都市で同県の県庁所在地。日本列島の真ん中、中部地区および東海地方最大の都市で、東京23区、横浜市、大阪市に次ぐ全国第4位の225万人(2009年10月現在)を有する大都市だ。そして私もこの名古屋市で生まれて小中高と育ち、大学時代は東京で過ごしたが、再び地元に戻ってからはその大半をここで過ごしている。
関東と関西の間に位置し商業も盛んな一方で、日本有数の企業の一つであるトヨタ自動車の本拠地である豊田市や三重県の四日市市などとともに、中京工業地帯の中核をなす工業都市でもある。2005年には日本国際博覧会である愛・地球博も開催されて注目を集めた。
スポーツではプロ野球の中日ドラゴンズやサッカーJリーグの名古屋グランパスが本拠地を置き、近年ではフィギュアスケート女子の浅田真央選手や安藤美姫選手などの有力選手も輩出している。またこの大会が開催された前年の2009年には、夏の高校野球・甲子園で同県代表の中京大中京高校が全国制覇を果たして話題を呼んだ。
それ以外の名古屋の歴史などについては2009年に出場した2009名古屋シティマラソンで詳しく紹介しているので、そちらを参照して頂きたい。
一方ナゴヤドームは1997年にオープンした愛知県名古屋市東区大幸南1丁目1番1号にあるドーム型の野球場で、プロ野球セリーグの中日ドラゴンズが本拠地として使用していることで有名だ。
オープン当初は最寄り駅は大曽根でそこから歩いていかなくてはいけなかったが、地下鉄名城線の環状線化に伴い2000年1月にナゴヤドーム矢田駅が新設された。
駅の地下通路1番出口からドームへと向かう道にはドラゴンズロード(2006年より)が作られていて、選手や監督たちの写真や過去の優勝時の胴上げ写真などが掲載されてファンの目を楽しませている。
また2006年にはすぐ近くにイオンナゴヤドーム前ショッピングセンターもオープンし、大変な賑わいを見せるようになっている。
中日ドラゴンズは以前のナゴヤ球場からこのドームに本拠地を変えた後、1999年と2004年、2006年にリーグ制覇、2007年には日本一を達成している。
収容人数は40,500人(野球開催時は38,414人)で両翼が100mで中堅が122m、そして外野フェンスの高さが4.8mなのだが、注目すべきは右中間と左中間の広さだ。
ここが他のドーム球場よりもかなり広いため、ホームランが出にくい球場として知られている。ドームとしては2010年現在のところ福岡ヤフードームに次いで広いらしい。
野球以外にも有名ミュージシャンのコンサートや各種イベントなどにも使用され、今回の6時間リレーマラソンは2008年から開催されて今回が3度目の開催となる。
今回はナゴヤドームで開催ということで、自宅からもそれほど遠くないし、前日は名古屋で仕事だったため、当日は余裕を持って大会会場に向かうことができそうであった。
ただ夕方5時まで取引のある会社で仕事をしたのだが、ここでアクシデントが起きる。自転車がパンクしてしまったのだ。
朝出勤の途中でパンクしてしまい1キロ以上を歩く羽目になったのだが、帰りは7~8キロを歩いて帰らなくてはいけなくなり、しかも疲れを残してもいけないので走ることもできず、1時間ぐらいかけて歩いたのだがこれはちょっとしんどかった。
家に戻ると夜はうな重などを食べしっかりと食事を取って栄養をつけ、食べ終わってから近くの西友で買い物、明日用のヴァームやボンゴレビアンコとペスカトーレのパスタ、バナナに牛乳を買う。
それから弟2人と明日の作戦会議をし、10時過ぎに友人に電話をしてから11時ぐらいには寝たかったのだが、結局2時ぐらいに寝たのではないかと思う。
走り込みに関してはまだこの年の猛暑が9月中もずっと続いていて、10キロを走り切ることすらできていなかったので不安ではあったのだが、リレーマラソンで適度に休むこともできるのが唯一の救いである。
そしてアクトス6時間リレーマラソンの当日、朝8時の出発予定で7時前には目が覚めた。
空を見ると雲一つないいい天気、気温はこの日は9月の後半にして結局33度まで上がったらしい。
まず起きるとナンバーカード引換券兼誓約書に名前書いて印鑑押して、それを自分の部屋でスキャンをする。
それから朝は恒例のボンゴレビアンコのパスタを2つ、まず1つ目食べてから荷物まとめる。
ヴァーム9本をクーラーボックスに入れ、お菓子とヴァームゼリーとチョコレートをもう一つのクーラーボックスに入れる。そしてバナナは10本ぐらいを用意し別の買い物のビニール袋に入れてまとめた。
その後荷物トランクに入れて出発したのは8時15分少し前ぐらい、父親の運転する車でナゴヤドームへ向かい、途中茶屋が坂のあたりを通っていった。
そして8時35分ぐらいにナゴヤドーム前の道路脇で降り、荷物をトランクから出す。前回5月の庄内緑地公園の時はずっと付き添ってくれたが、今回は時間が6時間以上と長いので、父親と母親は家に戻り、夕方父親が迎えにきてくれることになったのだった。
それから弟2人と荷物持っていざナゴヤドームへ向かうことになるが、既に周囲にはランナーと思われる集団もたくさん見られた。
ナゴヤドーム前の歩道橋を渡って上に上がったのだが、今回はさすがに野球観戦も含めて何度も来ている場所だけに迷うこともなく、8時38分に余裕を持ってナゴヤドームに到着、球場の周囲は既に大変な人で賑わっていた。
大会受付は入場ゲート前に設けられていた。ところがここで引換券兼誓約書をスキャンした後そのまま自分の部屋に忘れてしまっていた事に気づく。
思わず嫌な汗が出たのだったが、こういう時大抵は名前やらきちんと申告すれば何とかしてもらえることは分かっていたので、どうしたらいいかと受付のスタッフに聞くと、こちらでは対応できないのでピンクのTシャツを着たスタッフのいる当日受付の所に行ってくれと言われたのだった。
少し迷ったが無事その当日受付所が見つかり、事情を話すと誓約書を書き直すことで問題ないらしく、多分大丈夫だとは思ってはいたがホッとした。
新たに引換券誓約書の用紙をもらい、受付の前で待っていた弟たちを呼んで、当日受付所の方へ行く。それから名前書いて拇印を押して問題なく完成、ちゃんと朱肉まで用意されていて、忘れてしまった人も結構いたようだった。
それからゼッケン番号が分からなかったので再度確認してから再び受付場へ、ようやくゼッケンとタスキを無事受け取ることができたのだった。時刻は9時5分前ぐらいだった。
ゼッケンとタスキを受け取ると緑色の入場券を出して入場ゲートの係員に渡して中に入る。ちょうど15番通路の前だった。
いつものナゴヤドームの雰囲気と同じといえば同じ感じだったが、いつもや野球観戦で見る側だが今回は自分たちが出場するということもあり、やはり大会の雰囲気に徐々に興奮気味になってくるのが分かった。
それから少し歩いて12番通路からドームの中に入る。するといつものドームの雰囲気に、更にグラウンド内には舞台やコーンでコースが作られていて、真ん中辺りにはスタート&ゴールの門も設置されていた。
内野スタンドがランナーたちの荷物置き&休憩場所となっていたのだが、既にたくさんの人で埋め尽くされていて、特に1塁側はもう満杯のような感じで、やむを得ず3塁側に移動する。
しかし3塁側ももうかなりの人で、特にグラウンド内に入るための出入口に近い下の方は大人数で出場すると思われる大規模な参加チームがヒモで場所取りをしていて、まったくといっていいほど空いていなかった。
ただ人数に比べて明らかに場所を取り過ぎであり、さすがにやり過ぎで後から来た人の事を考えない場所取りは少なからず不快だった。
後から来た人には自分たちと同じような愚痴をこぼしている人が何人もいたので、もう少し考えてもらいたいものだ。
それでも何とか3塁側席真ん中辺りの中段の端の席を2つ分確保し、そこを拠点にすることに決める。
ただ後から分かったのだが、ランナーたちがグラウンドから内野スタンドに入って上の出口に向かうため通るのにまっすぐの位置だったため、人の行き来が激しくて落ち着かなかったのはちょっと失敗だった。
場所取りが済むと早速弟2人は着替えをはじめ、ゼッケンもつける。自分はもう一度空いている席ないか周囲を確認して歩いて回ったのだが、結局いい席なくて諦めたのだった。
そうこうしていると下の弟が着替えを済ませてグラウンド内を偵察に向かう。
自分も上の弟をその場に残してトイレで下だけ着替えをする。
上の弟によるとトイレかなり混んでいたということだったが、それほどでもなかったのは幸いだった。ただ自分は結局することはなかったが、大きい方はやはりかなり待たされる感じだった。
席に戻るとシャツにゼッケンも付けるが、最近太り過ぎなのかシャツがなかなか着られず、正面から見て右下のゼッケン留めボタンが着替えている途中に破れてしまう。
それでも何とか着替えを済ませ、自分もグラウンド内を偵察に向かう。
そしてしばらく右往左往した後、一塁ベース付近にいた係員に尋ねるとAの表示のある所に集まり、そこでタスキの受け渡しをすることが判明、後でそれを第一走者の上の弟にも伝えるのだった。
一方ステージではもうイベントも始まっていて何かのマスコットキャラが踊っていた。そして3塁側ベンチにはパソコンがたくさん置いてあって、どうやらここでタイムなど集計しているらしい。
そんなこんなで偵察を終え、ステージやグラウンド内の写真撮影をしてから席に戻ろうとするが、途中バックネット裏付近にトイレがあることに気がつく。
こちらは結構空いているらしく、様子を見にいくとそこで下の弟と偶然鉢合わせとなり、二人で内野席へと戻ったのだった。
9時40分ぐらいに第一走者でスタートを務めることになった上の弟がスタート地点に向かう。
自分は第二走者だったのだが、スタートの写真撮影をしたかったので9時50分ぐらいにグラウンドに降り、ゲートの方を目指した。
するとそんな自分を尻目にグラウンドにはチアガール風の衣装に身を包んだ小さい女の子の一団が現れる。どうやら開会式のセレモニーで踊りを披露するらしかった。
そしてその直後だった。今回のゲストランナーとして呼ばれていたお笑い芸人の猫ひろしが車に乗って颯爽と現れたのだ。「猫魂」という文字の入ったいつもの赤シャツを着ていて、今回はどうやらスターターも務めるらしい。
そして9時55分、まず先頭を切って42.195キロの組がスタートする。
その様子を写真に収めると、今度はスタート&ゴール地点のゲートの近くまで小走りで急いで向かう。
そして5分後の10時ちょうどにいよいよ6時間リレーの組がスタート、写真だけでなく動画も撮影した。
勢いよくたくさんのランナーが走り出していったのだが、さすがに1万1千人が出場しているだけのことはあり迫力ある大会だ。
スタートを見届けると一度内野スタンドの自陣に戻り、第三走者の下の弟と少し話をしてから、確かこのタイミングでヴァームゼリーを飲んで10時4分過ぎぐらいにAゾーンへと向かった。
途中トイレに立ち寄って用を足し、この日はかなりの暑さであることは分かっていたので同時に帽子や首まわり、そして体をしっかりと濡らしておいた。
それからステージではちょうどその頃太鼓の演奏が行われていたので軽く撮影し、いよいよタスキリレーの場へと足を踏み入れる。
最初はリレーゾーンの手前に置かれていた台の上に乗って様子を探っていたのだが、割と簡単に上の弟が走ってくる姿を確認できた。
そして弟の姿を確認するとリレーゾーンへと足を踏み入れ、手を上げて合図してタスキを受け取る。時間は12分ちょっとぐらいで、予想していたよりはいい感じで自分たちのチームはスタートを切れたのだった。
ちょうどホームベース付近でタスキを受け取るとそれを体にかけ、会場内の写真を撮りつつセンター方向・バックスタンドへと向かって走っていき、通路を抜けてあっという間に外の駐車場に出る。
外に出るとさっそく太陽の照り返しがきつくなり結構な暑さ。これは大変な大会になるだろうなという予感はあったが、さすがに1周目はまだ十分余裕もあり、若干早いかなというペースで走った。
そして今のうちにということで写真撮影もこの1周目で主要な部分は一通り済ませておいたのだった。
今回自分たちが走った1周2キロの周回コースは0.5キロ、1キロ、1.5キロ地点にちゃんと表示があって非常に走り易かった。
1周目のタイムだが、0.5キロはちょっと覚えていないが、1キロは5分11秒ぐらいのペースで通過することができてかなりいい感じだったと記憶している。
そして駐車場のコースについてだが、コース幅が十分取られているので、危ないと思ったり詰まったりということは一度もなかった。
この点何度も直角に曲がったり折り返したりもあったのだが、フラットで極めて走り易いコースである。
ただ最初はまったくといっていいほど太陽が隠れることがないので、暑さだけが最大唯一の懸念材料だったと言っていい。
それから1.5キロの手前辺りに給水所があったのだが、これについてはちょっと場所的にはよろしくない気がした。ドームに戻るもうあと少しの地点で1周しか走らない人間には不要とも思えたからだ。1キロ地点あたりにあると一番理想なのだが。
そして水もカップにちょっとしか入っていないし、走っている人間の数からするとちょっと少ない気もした。
まあ周回コースで6時間ずっと給水が続くので仕方ないのではあるが、あまり給水の意味をなしていなかったのは確かだ。
ちなみに水を体にかける方はその手前に大きなバケツと洗面器のようなものがあってそこで被ることはできたのだが、さすがにそこで止まってかけるまでには残り500メートル地点ということもあって一度もなかった。
そして水の他には確か干しブドウとか飴とか塩もあったのだが、自分は水と塩以外は摂取することはなかった。
そのような感じで給水所を抜けると、あとは少し真っすぐ進んで再びナゴヤドームの中なのだが、その手前の所にあったコーンには面白い表示があったので紹介しておく。
最近流行りの謎かけで、「マラソンとかけまして~と解きます。その心は?」というのがあり、続けて答えが書いてあるというのが2パターンあって、ちょっと苦笑いしつつ走っていた。内容は以下の2つである。
[1] マラソンとかけてインターネットと説く→どちらもLANが欠かせない
[2] マラソンとかけてハンバーグと説く→どちらもつなぎが大切
そして順調な走りでナゴヤドーム内に戻ってきて、そこでも写真撮影をしつつ1周目を走り切る。タイムは11分ちょうどぐらいで非常に順調な滑り出しだった。
最初の予定では上の弟が1周走って、自分が次に2周、そして下の弟が1周走って、それを基本繰り返していくという予定だったので、自分は引き続き2周目に突入することになる。
そして2周目の2キロもまったく問題なく順調な走りで、1周目で撮影できなかった給水所の前だけ写真撮影を済ませると、あとはきっちりタイムを刻んでナゴヤドーム内に戻ってくる。
ところがリレーゾーンで次の第三走者の下の弟の姿を確認することができず、困ったものの結局そのまま3周目を走ることになってしまった。
これはまったくの予想外のアクシデントで、気持ちの面でも準備ができていなかったので、少し無駄にエネルギーを使ってしまったかもしれない。
途中で状況を確認したくて上の弟の携帯電話にかけたのだがつながらず、結局それでも何とか3周6キロを33分02秒でまとめて、今度は第三走者の下の弟に無事タスキをつないだのだった。
それからステージ上ではエアロビクスの催しがやっていたのでそれを撮影して、内野スタンドの自陣へと戻ろうとすると上の弟が自分を見つけて声をかけてくれた。
電話もしていてくれたみたいだったのだが、タスキリレーが上手くいかなかった事について話をし、次からはAゾーンの表示の右の方の下辺りで待っているようにという事で場所をちゃんと決めることになる。
これで基本問題なくあとはタスキ渡しができるであろうとホッとするが、予期せぬ3周目を走ったせいかさすがにちょっと疲れていてヴァームウォーターをかなり飲んだ。
そして汗も相当かいていたのだが、ここでふと友人と京都で買い物した時に買った日焼け止めクリームを塗っていなかったことを思い出し、体に塗りつける。
汗だくだったがあとで振り返ってみてもしっかりクリームが効いていたようで、今回は前回8月末の「かっとび伊吹2010」に比べればそんなに焼けなかったと思う。
その頃下の弟は順調に1周目を走り終えたらしく、問題なく上の弟にタスキを渡す。
それから戻ってきた下の弟にもAゾーンの右側の表示の下ということを伝え、自分は2回目の出走、4・5周目のランへと向かう。
その前にトイレに寄って水をガバっとかけて帽子と頭と入念に濡らしておいたのだが、これは本当に給水が役に立たないと1回目の出走で分かったので、尚更念には念を入れて頭は冷やしておかなくてはという気持ちからだった。
2回目の出走は、少し1回目の疲れはあったもののほぼ問題なく23分10秒ぐらいでまとめることができた。
そして5周目が終わってナゴヤドームに入ろうとする辺りでは雲もわずかに出てきて、それでだいぶ暑さも凌げたと記憶している。
もっとも暑さは言わずもがなで、何周目かちょっと忘れてしまったが、1キロ地点付近に設置されていたテントでは若い女性ランナーがぐったりしていて横になっているのが目に留まった。
大丈夫かと心配したが、後から自分で起き上がったのが見えたので、大事には至らなかったらしい。
2回目の出走を終えるとちょうど時刻は11時半を回ったぐらいで、猫ひろしがステージをしている所だった。
しかしやはり猫ひろしはマラソンはすごいがギャグはうーん……といった感じだ。走った後の疲労もあり写真だけ撮影してから自陣に戻る。
この日は下の弟が割と調子がよく2回目は急遽2周走るということになったので休憩時間が少し増え、更に昼も近付いていたのでここでバナナを2本食べた。
そして栄養補給に持参してきたチョコレートも少し食べたのだが、やはりしっかりとした食事はできそうもなかった。
隣に陣取っていた若い女性のグループはおにぎりを頬張っていてよく食欲あるなと感心したが、自分たちは3人で間隔が狭いこともあったのでそれはそれで食べられないのは仕方なかった。
12時前には友人にメールをし、振り返ってみるともうこれで2時間走ったのだいうことが分かり、結構あっという間という印象だった。距離も既に10キロ走っていたのだが、足の方はまだまだ全然問題なかった。
ところが3回目の出走時、割と余裕を持ってリレーゾーンに向かったつもりだったのだが、上の弟が戻って来た所に間に合わなかったらしく、2周を走り終わってタスキを受けることになってしまう。
26分ぐらいかかってしまい迷惑をかけたのだが、結構リレーゾーンに行くまでも人ごみで一杯で、更にAゾーンまでの柵がくねくねと仕切られていて、更にトイレで用を足したりもしていたせいもあり、思ったより時間がかかってしまったのかもしれないが、申し訳ないことだった。
次からはもう次へ進まず止まっている方がいいということになったのだが、これを最後にミスは一度もなかった。
申し訳ない気持ちもあったりしたせいか3度目の出走の6・7周目はきびきびとしたペースで22分20秒でまとめて次の下の弟にタスキを渡す。
そして上の弟に戻ってからお詫びをして、次のタスキ渡しは失敗しないように下の弟が上の弟にタスキ渡しするのを内野席からしっかり確認。写真も撮影して時間もきちっとメモしておいた。
ちなみにこの間の下の弟のペースは結構早く22分ぐらいで走り切ったらしい。
直前には腰痛の影響で出場まで危ぶまれていたことを考えると予想が良い方向で裏切られてとてもありがたく嬉しかった。
そして上の弟が1周を手堅く12分でまとめると今度は4度目の出走で8・9周目、ここまで来るとトータルでも15キロぐらいを走った計算になり、ここから徐々に疲れが足に見え始める。
自分でもそれが十分自覚できていたので決して無理はせずに1キロ6分ぐらいでまとめ、この2周は23分39秒でまとめた。
そして足に痙攣が起きないように塩もしっかり舐めたりした。しかしやっぱり給水所は今回は本当に役に立たなかった。
タスキを渡して自陣に戻ると、ここでヴァームゼリーを補給する。
これがオレンジ味のやつだったのだが、柑橘系の酸っぱさが非常に飲みやすくて疲れを取ってくれる感じがしてとてもよかった。+セラミドのやつは思ったよりいいかもしれない。
自分の後は下の弟が今回は1周を手堅く12分で走り、この時点で時刻はちょうど14時ぐらい、スタートから4時間が経過していた。
ここまで来ると疲れはかなりあったが、気持ち的には残りが少なくなってきてだいぶ楽になってきていた。
弟たちはここからは1周ずつでも大丈夫だと言ってくれたのだが、とりあえず次も2周は走って、あとは1周でもということになる。
そして上の弟がまた次の1周も手堅く12分でまとめると、自分は5度目の出走で10・11周目。
これを走り切ると合計22キロでハーフマラソン(21.0975km)以上の距離となり、自分としても1日に走った距離としては過去最高になるのだが、やはりここまで来るとかなり足に疲れがきていた。
14時を回ったあたりからは陽も少しずつ傾き始めて日差しも若干弱まり、更に風も出てきたため楽になりかけたのだが、しかし冷えたのか水分補給しすぎたのか、あるいはタスキをかけて走るという今までない経験のせいなのか、走っていて左の背筋あたりに少しピリッとした違和感を感じ始める。
そして若干胸も苦しくなった感じがして、あまり無理をしてはいけないと考えてかなりペースを落として走らざるを得なくなってしまった。
結局この2周は26分25秒とかなり悪いタイムになってしまったが、それでも何とか走り切ったという感じだ。走った後にはバナナを食べて栄養補給もした。
そして下の弟にタスキをつないで、次は無理をせず1周にすると上の弟に告げると、下の弟はまだまだ元気があるらしくて次は3周行けるかもと言っていたらしい。
たださすがに2人も過去最長距離で足が攣ることも考えられなくはなかったので、多くても2周にしておいた方がいいとアドバイスしたのだった。
更にこの頃には42.195キロの組のランナーたちが続々と完走を果たして会場を後にし始め、内野席も徐々に空席が出始めたので前の方に移動する。やはり前の方だと走った後に自陣に戻る時に階段を登る量が減るので段違いに楽だった。
またコースとも近くなったので、下の弟が走っているのを確認できて走っている写真も撮影することができた。ただこの回のは上手く撮影できなかったが。
下の弟は1周を12分で手堅くまとめたのだが、トイレに行っていたらしくてかなり遅くまで戻ってこず、自分はてっきり2周走っているのかと思っていたらそうではなかったらしいので、慌ててリレーゾーンへと向かう。
ここでちょっと左足を慌てていたせいか突き指してしまったのだが、それでも上の弟がちょっとこの1周は14分と苦戦したこともあって無事にタスキ渡しができ、本日初めての1周2キロだけの周回で、6度目出走で12周目を走り始める。
この時ちょうど時刻は15時を回るか回らないかというあたりで、ついに残り1時間という所まで来ていた。
今回はたった1周ということもあって少しはペースが上げられるかなと思っていたのだが、突き指の影響もあったのか足はまったく伸びず少し攣り気味。
しかも背筋痛もそのままで、それにもう最後の直線あたりは日陰になっていて風もあったりしたのだが、それでも疲れは抜けずに2キロを14分かかってしまい苦しい1周だった。
完全にブレーキ状態で、どんどんとランナーに追い抜かれていくのは悔しかったが、赤いタスキをつけた1人で6時間を走るランナーたちもこのあたりではもう足が伸びずゆっくり走っており、走っている距離がそれぞれ違うんだと心の中で励ましながらのランニングだった。
自分が走り終え下の弟にタスキをつないだ時には15時15分ぐらいで、残りがあと45分ぐらいだった。
フラフラになりながら自陣に戻ろうとすると、前より更に前に移動されていて、グラウンドへの出入り口まではもう目と鼻の先だった。これ位近いと本当に楽だ。
そして上の弟に話を聞くと下の弟は最後に2周頑張って走ると言っていたらしく、上の弟がその後1周を走るとちょうど残りは10分を切るぐらいが予想されたのでどうするかという事になったのだが、結局最後は自分が引き受けることになる。
ちなみにこの大会では6時間ちょうどで切られ、その時点で周回を走っている場合その周はカウントされないため、たとえばゴール目の前で6時間がきてもその周はゼロになってしまうのだ。
良い状態の時なら10分でも1周2キロを走り切れないことはなかったのだが、とにかく微妙な残り時間となりそうだった。
しかも下の弟が用意してくれたタイムシートを見ると、そのあと1周を走り切れると何とトータル60キロの大台に乗るということを知る。
俄然これは何とかできればとも思うのだったが、何せかなりの疲労状態であり、現実的にはかなり厳しく実現は不可能のようにその時には思えた。
ところがまず下の弟がラストの2周かなりいい感じのタイムで走ってくれる。1周目はこちらでも走っているのが見えて手を振ると向こうも気づいてくれたようだ。
そして2周目は最後動画で撮影し、タスキ渡しは写真撮影で収めた。タイムは22分とこの疲れの中では素晴らしいタイムで上の弟にタスキをつないでくれた。
結局18キロも走り切り、いい形で終えてもらえてホッとしている。ゴール直後には記念撮影をして上げ、それから自分もラストランに向けてグラウンドへと降りていった。
下の弟の快走で上の弟が1周をどの程度で来るかにもよるのだが、16時まで残り位10分程度なら少し厳しいかもしれないのだが、もし12分ぐらいで来た場合は気合を入れて走らなければいけないと思っていた。
そうこうしながら時計を確認しつつ上の弟の到着を待っていたのだが、15時47分ぐらいで姿が見え、リレーゾーンに来た時にもまだ48分ぐらいだったので、これは行けると気合を入れて上の弟からのタスキを受け取る。
7度目の出走で最終となった13周目はこうして始まり、かなり速足でゲートをくぐりナゴヤドームから駐車場へと出ていった。
さすがにここまで来るとバテているランナーも多かったが、逆に最後の1周をちゃんと走り切りたいと自分のように思っている人たちはかなり速いペースで走っていて、自分もその流れに乗った訳ではないのだが、やはり動機づけがあると全然体の調子も違い、いい感じえ走ることができた。
ただやはり少しでも飛ばそうとすると左足のふくらはぎが攣るような感じがして、そこだけはケアしながら無理は避けた走りになった。
もっとも慌てていてこの周回ではストップウオッチを上手く設定できず、きちんとした時間が図れなかった。
それでも1キロ地点で大体5分30秒以内では走れていることが分かり、あとは歯を食いしばって残りの1キロに立ち向かう。
そして給水所ではサッと水を飲んで少し頭にかけると、あとはまっすぐ進んで右に折れ、ナゴヤドームの中に戻ることになる。
そしてこの辺りでスタッフの方であろうか、このあたりの人は周回走り切れますよという旨の事をおっしゃってくれたのが聞こえたので、更に元気を増して最後のドーム内のトラックを進んでいく。
見るとゲートの前では完走を称えて盛り上がっている人も見え、自分もあそこにたどり着くんだと必死に足を動かした。
そして最終のコーナーを曲がり、リレーゾーンまで来てもまだ1分弱時間があったのでこれで大丈夫だと確信。あとはゆったりとした気持ちで最後の直線を走り切り、無事ゲートを通過した。
まだ30秒近く残りがあったが、とにかく60キロの大台に乗せることができて、最後に大きな感動が待っていたのだった。
それから満足しつつゴール付近の写真撮影をし、タスキを返却してから自陣へと戻る。
どうやら弟2人にも自分が30秒前ぐらいにゴールするのが見えたらしく、2人とも感動のゴールに達成感を感じているようだった。
箱根駅伝を走るランナーの気持ちが分かるとも言っていたのだが、それは自分も同感であった。
やはり1人で走り切るというのもすごい達成感のある事なのだが、チームで協力して一つの事を成し遂げるというリレーマラソンには1人にはない感動があるものだ。それは今回肌で感じることができた。
そして参加賞は16時半までの受付だったので、下の弟がまず取りに行き、それから上の弟と二人で31と11番通路付近まで上がって参加賞を受け取る。タオルの他に水やヴァーム、クーポン券などが入っていたようだ。
自陣に戻るとそこで記念撮影をしたのだが、やはりゴール前でも記念撮影がしたいということで、下の弟と二人で再びグラウンドに入り、ゲートの方へ向かう。
そこではもうたくさんのチームが記念撮影をしていて、下の弟は何回か写真撮影を頼まれ、自分もアイポッドで写真撮影を1度してあげた。
そしてお返しに二人で揃っている写真も撮影してもらったのだが、それからはせっかくのナゴヤドームということで大の字になって寝転がり、更にグラウンド内を撮影しまくる。
更にレフトのポジションにも移動し、バックフェンスに高さも肌で感じることができた。やはりナゴヤドームは広い。
それから表彰式も何枚か撮影をしてから自陣に戻るが、上の弟も最初はいいと言っていたのだがグラウンド内での写真を撮る事になり、下の弟に留守番をお願いして二人で再びスタート&ゴール地点へと向かう。
そして写真をバッチリ撮影すると自陣に戻り、自分は着替えのためにトイレへと向かった。下の弟は抽選と表彰式を見届けるためにステージの方へと向かっていたらしい。
そしてトイレの中で着替えたのだが、もうこの頃にはトイレには人はまったくといっていいほどいなくてゆっくり着替えができた。
着替えが終わると時刻は17時10分前ぐらいで、下の弟も戻ってきて、父親とも連絡を取れたので、会場を後にする。ナゴヤドームを出たのは17時5分だった。
外はもう夕焼け気味だった。道にも迷うことなく歩道橋を降りると、朝降ろしてもらったのとほぼ同じナゴヤドーム前の道路脇で父親が車を駐車して既に待っていてくれていた。
そして4人で車に乗って帰ったのだが、帰りにはチンピラ2人乗りの運転するバイクが何回か目の前に見えてマナーも悪く、直接絡まれた訳ではないが一度はヘルメットもせず赤信号を堂々と直進したりしていて4人で呆れていた。
それから帰りには弟からも肉が食べたいとリクエストが出たので、母親に携帯で電話しておかずを少し買っていこうということになり、自宅近くのダイエーに寄り買い物をし、肉など買う。
18時過ぎに家に到着し、風呂さっと入ってから19時ぐらいからテレビ見ながら晩御飯を食べた。疲れはあったものの、肉だけでなく野菜やデザートなどもしっかり食べることができた。
そして22時ぐらいに友人に電話し、疲れもあったがそんなに早く寝つけず、寝たのは1時ぐらいだったと記憶している。
翌日が日曜日で更に月曜日が祝日でレースの後2日も休みだったのは大いに幸いだった。
9月30日に郵便ポストをチェックすると記録証が送られてきていて、中身をチェックしてみた。
30周60kmを5時間59分29秒7のタイムで走り切り、最後の30週目は10分23秒で、この日2番目にいいタイムで走っていたらしい。
1番良かったのが自分の1周目の10分19秒だから、最後いかによく頑張って間に合わせたかというのがよく分かるデータだった。
一方この翌日のこと、ナゴヤドームを本拠地とする中日ドラゴンズが見事にセリーグ優勝を決めてくれた。
今年はエラーも多く、8回7点差をひっくり返されたりとひどい試合も多かったが、粘り強く投手陣が頑張りよくこの最高の結果をもたらしてくれたと思う。
この大会でナゴヤドームを訪れた時にも、ぜひまたここで優勝を決めてクライマックス、日本シリーズをやって欲しいと思っていたので、まずは良かった。
そして次は10月10日の「あざいお市マラソン」で、長浜で開催されるが、来年の大河ドラマの舞台でもあるので、先んじて地元の盛り上がりや雰囲気を味わってきたいと思っている。