マラソン

大会結果レポート(2009名古屋シティマラソン)

大会データ

Runnet

日時
2009/11/23(月) 10時10分(スタート)
場所
愛知県名古屋市 瑞穂陸上競技場
21.0975km(ハーフマラソン)コース
主催
名古屋市、名古屋市教育委員会、(財)名古屋市体育協会、中日新聞社、中部日本放送、(財)名古屋市教育スポーツ振興事業団
特別協賛
NTTドコモ
協賛
トーエネック、セキスイハウス、大垣共立銀行、サークルKサンクス、ゼロバンク、エアーサロンパスEX、VAAM、名古屋トヨペット
天候
快晴
記録
グロス:1時間54分15秒(完走)
ネット:1時間52分58秒
関連リンク
名古屋シティマラソン公式サイト
名古屋市公式サイト
中日新聞
中部日本放送(CBCテレビ)
(財)名古屋市体育協会
名古屋市教育スポーツ振興事業団
名古屋開府400年ウェブサイト

大会前

愛知県名古屋市とは

今回の大会開催地である名古屋市は愛知県西部・尾張地方の都市で同県の県庁所在地。日本列島の真ん中、中部地区および東海地方最大の都市で、東京23区、横浜市、大阪市に次ぐ全国第4位の225万人(2009年10月現在)を有する大都市だ。そして私もこの名古屋市で生まれて小中高と育ち、大学時代は東京で過ごしたが、再び地元に戻ってからはその大半をここで過ごしている。

関東と関西の間に位置し商業も盛んな一方で、日本有数の企業の一つであるトヨタ自動車の本拠地である豊田市や三重県の四日市市などとともに、中京工業地帯の中核をなす工業都市でもある。2005年には日本国際博覧会である愛・地球博も開催されて注目を集めた。

スポーツではプロ野球の中日ドラゴンズやサッカーJリーグの名古屋グランパスが本拠地を置き、近年ではフィギュアスケート女子の浅田真央選手や安藤美姫選手などの有力選手も輩出している。またこの大会が開催された2009年には、夏の高校野球・甲子園で同県代表の中京大中京高校が全国制覇を果たして話題を呼んだ。

ちなみに名古屋グランパスは豊田市にある豊田スタジアムを準本拠地としているが、今回の大会会場である瑞穂陸上競技場をホームスタジアムとして使用していることにも触れておかなければならないであろう。

名古屋の歴史1(織田信長の天下布武)

一方歴史上では古代から中世までは熱田神宮の門前町が海運の要衝として栄えていたが、表舞台に大きく現れたのは16世紀に入り戦国時代の英雄・織田信長が登場してからといってもいいだろう。

1551年に急死した父親の跡を継いで家督を相続すると、弟との家督争いや国内の敵対勢力を打ち破って尾張国内を統一。1560年に有名な桶狭間の戦いで駿河の有力大名・今川義元を討ち取って全国に名を轟かせると、1567年に美濃の斎藤氏の稲葉山城を攻略して同地を勢力下に収め、同地を「岐阜」と改名し天下布武の朱印を用い本格的な天下統一を目指すようになる。

翌年の1568年には室町幕府最後の将軍である第15代足利義昭を奉じて上洛を果たすもやがて対立。武田信玄を中心に信長包囲網を築かれて一時ピンチに陥るが、その信玄の病死後は浅井・朝倉氏などこれらの敵対勢力をことごとく打ち破って1573年には将軍を追放して室町幕府を滅亡させる。

1575年には信玄の跡を継いだ武田勝頼に長篠の戦いで有名な鉄砲三段撃ちの策を用いて圧勝すると、1576年には琵琶湖の湖畔に壮大な安土城を建築。1580年には長年悩まされてきた大阪石山本願寺の宗教勢力を屈服させ、1582年には天目山の戦いで武田氏を滅亡に追い込んだ。

戦国最強と言われた上杉謙信も1579年に病死していたためもはやこの時点で信長に対抗できる戦国大名はなく天下統一は目前の所まできていたが、同年6月2日に京の都で起きた本能寺の変で家臣・明智光秀による謀反に遭い非業の最期を遂げることとなった。

その後家臣の一人であった羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が明智光秀を討ち取って信長の仇を取ると、その勢力をほぼそのまま引き継ぐ形で1590年に天下統一を果たし、さらに秀吉の死後の1600年に徳川家康が関が原の戦いで勝利して江戸幕府を開く訳だが、その基礎を築いたのは紛れもなく信長であろう。

また信長といえば比叡山延暦寺の焼き討ちなど苛烈なイメージを思い浮かべる方も多いと思うが、実際所領は上手く治めており譜代の家臣の団結も強く、また楽市・楽座の政策で自由経済を促進させ、関所や道路を整備することで商業を活発化させ、その集めた資金で兵農分離を進めて兵力を増強し、鉄砲の三段撃ちや鋼鉄の船の造船を命じるなど、物事を常識に囚われることなく常に新しい知識や文化を積極的に取り入れ、柔軟かつ合理的に判断した名政治家でもあったのだ。

当サイトもそんな地元の最大最高の英雄である織田信長に憧れ「天下布武」という言葉を借りて開設させて頂いたことは言うまでもない。

名古屋の歴史2(名古屋開府)

ただ、もちろん織田信長も豊臣秀吉も名古屋市内の出身ではあるが、実はこの2人が存命の間には現在の名古屋の街というのはまだ存在しなかった事はご存知であろうか。実は現在の名古屋の街ができたのは江戸時代に入ってすぐ、1610年のことである。

信長が尾張を治めていた当時の本拠地は清洲城で、名古屋市中村区と西区の西部に隣接する現在の清洲市あたりであった。ところが元々清洲一帯というのは水害に弱く、また関が原の戦いで徳川家康が勝利した後も豊臣氏は依然として力を持っていたことから、豊臣勢力に備えるために家康が考え出した施策の一つが、名古屋に新たな城を築くというものだったのである。

そして1610年に築城が開始された名古屋城が完成するとその周辺の道路も整備され、「清洲越し」と呼ばれる都市移転が行われる。以後は徳川御三家の筆頭として名古屋城を居城に尾張藩は明治維新まで続いていくことになるのだが、もうお分かりかと思うが2010年はそういうこともあって名古屋開府400年の記念すべき年にあたる事をここに記しておく。

以上のように地元で初めてのマラソン大会参加ということで、名古屋の歴史について熱く語ってしまったが、やはり自分の生まれ育った土地で行われる大会に参加できるということで、他の大会にはない特別な思いを持って大会当日まで過ごすこととなったのは言うまでもない。

大会前日まで

今回は地元での大会に初参加ということで意気込んでいて、仕事で多忙な中でもしっかり走りこんだ。京都に滞在中の大会1週間ぐらい前まで、二条城の周辺を5周する10km走を何回か行い、最後のランニングでは50分ぐらいで走り切ることができるなど自己記録もかなり更新できていた。

ここまでは万全といっていい感じだったのだが、名古屋に戻ってからハプニングが発生する。本来17日火曜日に近くの緑地で坂を上ったり下ったりするクロスカントリー走を最後にしてあとは足の筋肉を休めて大会に臨むはずが、ちょうどこの時期は天候が良くなく、翌日に延期。ところが仕事の都合上朝や昼に走ることができずもうこの時期は日の暮れるのも早いため、いつも走るコースは仕事が終わって行ってみると真っ暗の状態であった。

特に私がよく走っている緑地のランニングコースは林の中を切り開いて作ったような坂道が続く山道のような感じで電灯のようなものがない部分が多く、そこを日が暮れてから上り下りするのは正直不気味でいい大人でも結構怖いほどの暗さ、道に入った瞬間にもう何も見えないぐらいだった。

さすがにこれは最後まで走り切るのは無理だと判断し、最初の上り下りを終わった後に公園と駐車場をつなぐ坂に出るのだがそこは幸い電灯があってある程度の明るさだったので、そこを5往復ほどすることで練習を締めくくることした。変更したコースは問題なく走ることができたのだが、それ終わってからまた行きに来た道を戻る時、事件は起きたのである。

帰りもその坂道に入った瞬間、やはり真っ暗で何も見えない不気味な感じが続き、早く明るい所に出たい…と結構なスピードで坂を上り下りしていたのだが、最後の下り坂を下りきった瞬間、最後の一歩の所に少し窪みというか段差のようなものがあり、そこで空足を踏むような感じで左足の踵にピリッとした痛みが走ったのである。

これはやってしまったかなというような感じの鋭い痛みで、痛みを感じてからばらくはまともに歩けない状況であった。しばらくゆっくりした調子で歩いていると徐々に歩けるようになり、痛みもそれほど感じなくなったのだが、元々左の踵にはちょっとした古傷のようなものがあったこともあり、最後の最後でやはり不安な気持ちは拭えなかった。

それから大会当日までまだ4日もあったので大丈夫だとは思ったが、翌日通勤の際に階段を下りている最中にも案の定またピリッときたので、そこからは小走りもしないようにして回復に努めた。その結果ほとんど問題なく当日を迎えることはできた。

大会当日

両親や弟たちと大会会場へ

ボンゴレビアンコのパスタ

大会前夜は結局1時ぐらいには就寝し、やはり興奮でなかなか寝付けなかったのだが、3時ぐらいには寝れたと思うので睡眠時間も大垣の時に比べればきちんと取ることができた。当日の朝は6時半に起きて最近すっかり恒例となっているボンゴレビアンコのパスタをこの日は2袋食べた。

それから着替えをしたり荷物の準備をしてからバナナも食べて、7時半過ぎに家の前で自分だけこっそり出陣の記念撮影をしてから父親の車で弟二人と母親と5人で瑞穂陸上競技場を目指すことになった。

ちなみに今回の大会は私の双子の弟2人も10kmにエントリーしており、3人がレースに出場するという形になったのである。そしてそれもあって両親が競技場まで送ってくれる役を買ってくれたのだ。荷物も貴重品等預けることができたので、やはり有難いサポートだったことは付け加えておきたいと思う。

車で瑞穂陸上競技場へ

瑞穂陸上競技場には大会エントリー時間中の朝8時ぐらいだったと思うが、ほぼ時間どおりに到着。競技場そばの交差点で下ろしてもらい、そこで靴だけ履き替えて両親とはいったん別れ、大会に出場する兄弟3人で大会会場にエントリー手続きを済ませに向かった。

車を降りると目の前には地下鉄の出口があったのだが、大会会場付近は道路が封鎖されて選手はできる限り交通機関で来るよう推奨されていたこともあったためか、出口からはたくさんの人が出てきて競技場目指して歩いており、我々も否が応にもテンションがどんどんと上がっていった。

エントリー~競技場内へ(はち丸登場)

瑞穂陸上競技場 大会会場入口

競技場前につくと入口の名古屋シティマラソンの看板前と競技場の前などで記念撮影をして、それからハーフと10キロではエントリーの場所が若干違ったので、弟二人とはいったん別れて一人でハーフの受付場へと向かう。

そしてそこでゼッケンやランナーズチップや大会パンフレットなどを受け取って無事完了し、待ち合わせを約束した看板の前で再び合流する。

それから荷物を親に預けるため近くのファミリーマートのそばで落ち合うという約束を電話でしてから、三人で開会式に出席するために競技場の中に入ろうとしたのだが、その競技場の正面入口の所で「妙なもの」に遭遇する。それは気ぐるみの人形だったのだが、「はち丸」という名前の、冒頭でも述べた1610年の名古屋開府400年を記念して作られたマスコットキャラクターだったのだ。

はち丸登場

このキャラクターは私の見立てでは最近流行りの数あるゆるキャラの中ではまともな方だと思ったし、実際かわいく愛嬌のある感じで好印象だった。子供たちにも好評だったみたいでたくさんの人が一緒に記念撮影をしていて、私も写真を何枚か撮った。

競技場はサッカーの名古屋グランパスもホームゲームで使用しているが、残念ながらこの日まで観戦に行ったことはなかったが、実は私も弟たちも中学校時代にここで学校の運動会をした事があったので入った瞬間にその当時の事を思い出して非常に懐かしい気持ちにもなった。

私などはもう20年ぐらい前のことだが、観客席の裏の通路の所にも陸上のトラックがあって練習できたのが結構特色で印象に残っていて当時が思い出された。

競技場のバックスタンドからグラウンド内へ

聖火台

その後観客席内をホームスタンド側からバックスタンド側の方まで歩いて移動し、そこに聖火台のようなものがあったのでその前でも記念撮影をしてから、そのまますぐ聖火台横の階段を下りて競技場の中に入っていった。

競技場に降りるとやはり独特な感じがして、サッカーの芝生とか陸上のトラックというのはやはり雰囲気あっていいものだと思った。

開会式に名古屋市長の河村たかし氏が登場!

開会式 河村たかし市長登場

そして芝生にはもう結構人も集まってきており、ほどなく開会式がスタートしたのだが、最初に司会の女の人が挨拶してから来賓の代表の方が挨拶した所で、もう開会式の雰囲気も充分味わったしずっと開会式に参加している時間もないという事でグラウンドを後にしようとする。

ところがその後にとんでもない人物の登場が待っていた。大会会長ということで登場したのは現名古屋市長の河村たかし氏で、民主党所属の衆議院議員の時代からその歯に衣着せぬ弁舌と独特の名古屋弁でTVタックルなどの番組などにも出て有名だったが、現在は地元名古屋の市長として活躍している。

いろいろと議会運営では苦労しているものの市民からの支持率は高い市長だが、何か彼が出てきてから会場がぐっと盛り上がったような感じで、私もまた近くまで行って写真を撮った。やはり何か雰囲気持っている人物だ。

スタート前

待ち合わせ場所近くのファミリーマート

その後結局5分ぐらいであっという間に開会式は終了して、グラウンドでは準備体操のようなものも始まっていた。

しかし私はハーフのスタート時間が刻一刻と近付いてきていたこともあり、バックスタンド裏のトイレの前でゼッケンをつけ着替えも済ませてから、弟二人と三人でいったん競技場を出て、ファミリーマート近くの両親と落ち合う場所まで急いで向かった。

そしてそこで貴重品などの荷物を預けて記念撮影をしてから、私だけ先にレースが始まるので、会場に急いで戻っていった。

ふれあい広場のポケモンのイベント

10kmコースは弟たちの話では競技場の横にある「ふれあい広場」という場所が集合場所だったらしく、それを聞いていたため自分も最初そちらの広場に行ってしまったのだが、到着してみるとポケモンのぬいぐるみと一緒に撮影ができるコーナーなどイベント満載という感じで、どうもハーフの部はそのまま競技場のグラウンド内が集合場所ではないかと空気が濃厚であった。

そこで慌てて競技場まで戻り、時間も押し迫っていたのだがそこは冷静に係員に場所を確認してから再びバックスタンド裏のトイレに向かう。すると結構人が並んでいて大変だったものの何とか無事用を済ませ、急いでグラウンドへと下りていった。

スタート前の練習風景

ところがその時に手に持っていたヴァームをたぶんトイレに置き忘れてしまい、水分補給をスタート前にしておく予定だったのがほとんどできなかったのは誤算だった。とはいえ幸いにもその後のレースには影響はなかったのだが。

ちょっとは飲んだものの大部分は無駄にしてしまい勿体なかったが、グラウンドに降りるともう既に蟻の隙間もないほどの人ごみで自分のスタートの位置であるF地点まで行くのにも一苦労したぐらいだったので、そこからまたトイレに戻る余裕は残念ながらなかったのだ。次はバタバタしていてもこのようなことがないように気をつけたいと思う。

そんなこんなで何とか無事にスタート地点に到着すると、今度は「公認」と「一般」でスタート時間が違うと電光掲示板にあったのでその違いが分からず狼狽する。

スタート直前

そこで落ち着いて隣の人に聞いてみると、「公認」というのは外国人や有力な日本人の招待選手たちのことで自分たちは「一般」選手であり、10時に公認選手がスタートした後に10時10分にスタートするということで問題なく安心した。

それから緊張感もだんだん高まってきて、やがて10時になり公認の選手たちがスタートしたのだが、どうやら海外の黒人選手たちがスタートと同時に猛烈な勢いで走り出し、それがトラック内で他の選手たちを周回遅れにするぐらいのスパートだったらしく、短距離を走っているかのようなあまりの速さに「一般」の選手たちは皆苦笑していた。しかし自分たちは自分たちのペースでレースをするしかないのは皆分かっていたと思う。

スタート~レース序盤(順調なスタート)

レース風景1

それから10分後、10時10分に「一般」の選手たちもようやくスタートとなり、開会式にも登場した河村たかし市長がスターターを務めて号砲を鳴らすと、徐々に一団が動き出した。

とはいっても京都シティハーフマラソンの時同様に最初は鈍行ペースで、しかもスタートラインには市長がずっと立っていてしばらくの間出場選手たちに向かって手を振り続けていたため、選手の皆はそれに応えるように手を振ってスタートしていったのが、何だか楽しかった。そして私はF地点からのスタートだったので、スタート地点に着くまで1分20秒近くかかった。

競技場を出たあたりからようやく本格的に走り始めることができたのだが、結構待っている間に冷えたらしく最初から尿意を感じていて大変だったものの、これは走っているうちに体が温まってくると最後の方はまったく気にならなくなっていたので良かった。

レース風景2

そしていざ走り出してみると、やはり数日前に少し違和感のあった左足の踵の影響を無意識のうちにかばって走っていたせいか右足の筋肉に負担がかかっているのが感触として分かったので、左足にも少し重心というか負荷をかけて右足をかばいつつバランスをとるなど、最初は試行錯誤の走りだった。

また1キロ地点の標識が大垣ハーフマラソンの時同様にまたしても見つからなかったのだが、今回はスタートしてからしばらくかなりゆっくり走らされたのと、大会直前に行っていた10キロ走でかなりしっかりといたスピードトレーニングを前もってしていたこともあり、かなり飛ばして走ることができた。

そして最初の5キロ地点の計測ではで27分ぐらいとスタートの鈍行ペースの影響があったのだが、そこからかなり飛ばして10キロ地点の計測では53分ちょっとで、今回はスピードもかなり出していい感じで走れたのは収穫だった。

レース中盤(思わぬ誤算)

レース風景3

ところがいいペースだと思って順調に走っていると8キロぐらいから思わぬ誤算が始まる。これまでの大会ではまったく気にもならなかった時間制限によるコース封鎖が始まり、「あと2分」とか「あと1分」とか「30秒」とか、何キロか毎に脅すようなかけ声がかかり、それで大いにペースを狂わされ始めたのだ。

今回の名古屋ハーフがこんなに足切りがきつかったのは、名古屋の交通事情もあるのだと思う。大都会な上に元々車社会である名古屋の中心に近い場所で行われているために致し方ない面もあるのだが、それでもやはりきつかった。何せ今までで一番良いタイムで10kmを通過していたからで、これ以上飛ばせと言われてもというぐらい結構飛ばしてきていたのだ。

それでも同じリタイアするなら時間制限より体力切れでリタイアした方が後悔もないし、とにかく足切りには遭いたくない…の一心で、あとのレースは正直ペースは無視しひたすら前を目指すという感じで走ることになってしまった。しかしだからこそ大会直前にスピード走の訓練をしていたのが大いに活きたと今では思っている。

それでも15キロ前後にあった足切りは確か「あと15秒」だった記憶があり、かなり危ない状態で正直キレ気味だったのだが、そこでオレンジのシャツの中年の男性が次は18キロ地点までの3.3キロぐらいの距離を24分かけて走れば大丈夫だ…といった内容の励ましの言葉を皆に向かって叫んでくれる。

するとその言葉を聞いてからは時間的にも余裕があることが分かり、あとはもう大丈夫だと安心して走れるようになりペースも安定した。皆を励ましながら走っていた男性にはこの時ばかりは感謝だった。

今回も例によってあまり景色を見る余裕はなかったのだが、さすがに今池を北に走って何度も行ったことのある商店街が見えたのと、千種駅、栄などのよく自転車で通勤していた時の馴染みのコースを通った時は、注意して見ていなくてもその場所を走っていることが分かり、いつもにも増して安心して走ることができたのはホームアドバンテージというやつであろう。それと市役所前の折り返し地点も記憶にしっかり残っている。

一方給水については今回は人数が多いせいか係員もバタバタしていて、また最初のテーブルに人が集まるのも恒例だったので、取れなくて更に6キロ走るよりはましだと考え落ち着いて確実に取ることを優先させた。暑かったのでスポーツドリンクは2つ取り水でも確実に体全体を冷やすように心がけました。

それもあってか今回のマラソンは雲ひとつない快晴で気温も結構上がったので最後の方は皆バテバテだった中、私は意外と体力面では余裕があって、バテてペースが落ちてきた選手を今回は相当抜いたと思う。抜かれた数より抜いた数の方が多かったと思うのだが、やっぱりその方が気持ちいいことは確かだ。

それと今回は16キロ地点から1キロ単位の標識のすぐ後に「残り何キロ」という標識が表示されていたのだが、1キロ単位の標識で励まされたすぐ後に「あとちょっと」だという看板が見えるので、それも精神的に励みになった。

残り3キロ地点~ゴール(アクシデント発生?)

ゴール地点

ところが体力面では余裕があったものの足の方はあまり余裕がなかったらしく、残り3キロぐらいの所だったと思うのだが突然ふくらはぎの裏が痙攣しかけるような違和感を感じ始め、それからはふくらはぎを伸ばすような形の走り方で足に気を使いつつ必死でいたわりながらの走りとなる。それでもラスト1キロは特にやばい状態で、もう1キロあったら大変だったかもしれない。

それでも何とか残り1キロの所も粘り、最後は瑞穂陸上競技場のトラックに入る所でサングラス外し、ゴールはきちんと笑顔で決めてやろうと思いトラックを走りった。このあたりは京都ハーフを走った時の教訓で、たぶんまた大会のゴールの時の写真が送られてくるであろうからである。ちなみに京都ハーフの時はかなりきつそうな顔で写真に写っていた。

トラックの最後のコーナーでは中年の男性選手が一人倒れていて介抱されていた。あとちょっとの所ですごい無念だろうなとは思いつつも、自分は何とか粘って無事1時間54分15秒でゴールできたのだが、何か最後のゴールラインの線が中途半端に2つあるような感じで、私は最初の方がゴールラインだと思ってバッチリ笑顔でラインを跨いだのだが、その2メートルぐらい先に本当のゴールラインがあって、何だか腰砕けのような形でゴールになだれ込んでしまった。写真撮られているとしたら何かみっともない事になっていないかと今から心配だ。

そしてランナーズチップのおかげで計測できるスタートラインからゴールまでのいわゆるネットタイムは1分20秒マイナスの1時間52分58秒だった。

こちらが実際は本当のハーフのタイムなので、京都ハーフよりは40秒ぐらいは短縮できて自己記録が出たのは嬉しかった。最後足が痙攣しなければもう少し早いタイムでゴールできたとは思うのだが、あの暑さの中である、まあ良しとしよう。

レース後

ゴール直後

ゴール直後

ところがゴールすると、選手たちは休む間もなく競技場を出てすぐの所にある記録証を発行するテントの方に誘導される。

そしてその場でゼッケンについていたランナーズチップをはがし係員に返却してスポーツドリンクのヴァームを受け取る所までは良かったのだが、それからコンピュータで発行される完走記録証を受け取るまで15分以上立ったまま待たされる事になり正直キレ気味だった。

さすがに21キロも走った直後だけに少しは座ってゆっくり休憩したかったし、レースの余韻をもう少し楽しみたかった。それだけは残念だった。

記録証コーナー

友人には完走証発行のための行列の中でメール書いて送っていたので、完走証を受け取るとすぐに10kmを走った弟たちと電話で連絡を取り合いエアーサロンパスの無料配布場の前で合流する。

どうやら無事弟二人は完走できたようで、私も頑張って走り込みをしていたのを知っていたので自分のことのように嬉しかった。

それから完走記念の写真を三人それぞれ撮影をしてから競技場を出て、朝も待ち合わせ場所になった近くのファミリーマートを再び目指したのだが、その途中には抽選会のようなものもやっていて、私の下の弟がボウリング場の無料チケットが当選していたので喜んでいた。

帰路

晩御飯のハンバーグ

両親と合流した後は疲れも相当あったので車でまっすぐ家に戻る。

家に戻ってからはシャワーを浴びた後、この日CBC放送でライブ中継していたマラソンのテレビ中継を録画で見つつねぎとろのおにぎりをパクついた。中継とはいっても有名な公認選手ばかり写っていて一般選手はスタートのシーンだけだったが当時の雰囲気は伝わってきた。

それから少し昼寝をして夕方5時半過ぎに起き、両親と弟たちと一緒に晩御飯を食べに近くのステーキ&ハンバーグ・サラダバーのけんという店に行ってきた。

ここは1000円ぐらいでステーキかハンバーグが食べられて、サラダとスープとごはんとフルーツがおかわり自由というすごい店で結構混んでいたが割と早く席に着く事ができ、皆お腹も空いていたのだと思う、思う存分食べることができた。

それから8時過ぎに家に戻ってきて友人に電話してからは、疲れもあり翌日仕事ということもあったので早めに休んだ。8時からの水戸黄門は時間に間に合わなかったのでまた録画で見たいと思う。

後日談

完走記念写真

地元で初めて出場した大会は、中盤ヒヤヒヤしたものの何とか無事完走することができた。

来年ももちろん出場する予定でいるが、もう少しスピードをつけて足切りの恐怖を味わうことのないように鍛錬をしておかなければと思っている。

それとこの大会はランネットの大会100撰にも選ばれるなど人気の高い大会なので、出場を検討されている方は早めの応募をオススメする。

ある程度走れる自信がないと完走するのは大変な大会だが、タイムに自信のない方は10kmの方が足切りの時間までは割と余裕があるので、ぜひこちらをチャレンジしてみてはどうだろうか。

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