大阪府は近畿地方の都道府県で府庁所在地は大阪市。近畿地方および西日本の政治経済・文化や交通の中心地である。
面積は約1897.km2でこれは全国47都道府県中で香川県に次ぐ46番目の狭さだが、人口は約885万人で東京・神奈川に次ぐ第3位の多さだ(2011年2月現在)
地形は大阪平野を中心に北は六甲山、東は生駒山と金剛山、南を和泉山脈に囲まれており、山から大阪平野にかけてなだらかに丘陵が続いている。西側は瀬戸内海に面し大阪湾に注ぎ込む淀川はこの地方には欠かせない重要な河川だ。
気候は瀬戸内気候で年間を通じて温暖だが、その分夏は熱帯夜の日も多い。その反面北西の季節風の影響で冬の降水量は太平洋岸にある割には多いとされている。
歴史上では旧国名では河内国と和泉国の全域および摂津国東半分と丹波国のごく一部にまたがる地域で、古くから日本の政治経済の中心都市として7世紀頃までは難波宮など何度か都も置かれ、その後京都に都が移ってからも上方へ通じる水上交通の要衝として栄えた。
そして安土桃山時代には天下人となった豊臣秀吉がこの地域に大坂城を築て城下町が整備されて隆盛を極めるとともに、秀吉没後に徳川家康が天下を取ると大坂の冬の陣・夏の陣で戦国時代終焉の舞台ともなった。
江戸時代に入ると幕府の天領として大坂町奉行が派遣されるが、諸国からの物産の集積地でもあったことから「天下の台所」と称されるほど全国の経済・商業の中心地として繁栄した。
明治以降は繊維工業を中心とした工業都市に変貌を遂げるが、近年は重化学工業が盛んで阪神工業地帯の中核を成している。
一方大阪市はその大阪府の府庁所在地で面積は約222km2。人口はおよそ266万人(2011年2月現在)で、政令指定都市でもあり区の数は24と全国で一番多い。
この地方の政治経済・交通の中心であることは大阪府での紹介の通りだが、中でもJRと阪急・阪神・地下鉄などが通る大阪駅・梅田駅周辺の歓楽街である北新地を擁するキタとグリコの看板で有名な道頓堀を挟んで難波駅から心斎橋駅あたり一帯のエリアに広がる日本最大の歓楽街ともいわれるミナミは市を代表する繁華街である。
ちなみに大阪市を自分の頭の中で自分なりに勝手にコンパクトにまとめてみると、まず市内の真ん中あたりに北から南にかけて大阪のメインストリートといわれる御堂筋・新御堂筋という道路があり、淀川(新淀川)を挟んで北側の方に新幹線の通る新大阪駅と十三(じゅうそう)という駅がある。
そこから淀川を渡って南に少しいった所に大阪駅・梅田駅のターミナルと歓楽街の北新地のあるキタがあり、更に南へ行くと淀川から分岐してきた大川(旧淀川)が大阪市役所や中央公会堂などもある中之島という中洲を挟んで北の堂島川と南の土佐堀川という2つの川に分かれ、土佐堀川には大阪で最も多くの人に利用されている橋だといわれ北の大江橋とともに重要文化財にも指定された淀屋橋という橋がかかっている。
この淀屋橋から御堂筋に沿って南へ進んでいくと本町を通ってアメリカ村の通称で有名な心斎橋、更に南へ進むと道頓堀川があり、川にかかる道頓堀橋を挟んで南側にある難波駅とその東の日本橋駅までミナミの歓楽街が広がる。
難波駅をもう少し南に行くと通天閣で有名な新世界や天王寺動物園、天王寺駅などがあり、さらにぐっと南に下ると陸上やサッカーでよく大きな大会が開かれる長居陸上競技場があるのだ。
更にこのラインからは外れた所では、淀屋橋の東の方に造幣局の桜の通り抜けで有名な天満橋エリアや江戸時代には京街道から大坂の玄関口として賑わった北東部の京橋エリアや大阪城公園、大阪府庁、大阪府警本部などがあるエリアがあり、一方西側の方には難波を少しいった所に大阪ドーム(京セラドーム大阪)、更にぐっと西に向かい大阪湾に面した所にユニバーサルスタジオジャパン(USJ)や世界最大級の水族館といわれる海遊館もある。
とりあえずこれだけ抑えておけば十分な気がするが、ちなみに阪神タイガースの本拠地の甲子園とガンバ大阪の万博記念公園は大阪市内にはない。甲子園は知っている方も多いと思うが兵庫県西宮市にあり、万博記念公園は大阪市からみてかなり北の方にある吹田市に存在している。
淀川は琵琶湖から大阪湾にかけて流れる川の名前で、琵琶湖から流れ出る唯一の河川なのだそうだ。
大津市で琵琶湖から流れ出る時には瀬田川(せたがわ)と呼ばれ、その後京都市内を通る時には宇治川(うじがわ)、更に京都と大阪の境あたりで桂川・木津川と合流し、それ以降が淀川と呼ばれるらしい。
その後大阪市内を通って大阪湾に流れ出る訳だが、京都を結ぶ水運の要衝だったことから淀川流域は古来より政治・文化・経済の中心地として極めて重要な役割を担ってきた。
現在も関西地域の重要な水資源である一方、また河川敷には財団法人河川環境管理財団の運営する公園が整備されていて、今回の大会もまさにその一つで開催された。
野草広場地区、景観保全地区、自然地区があり、景観保全地区の一つである京都府八幡市の背割堤地区は桜の名所としても有名なほか、野球場・テニスコート・陸上トラック・サッカー場・ゲートボール・各種ゴルフ場・バーベキュー施設・プールなど様々な施設が存在していて、年間約80万人以上の利用があるらしい。
そしてマラソン大会も今回の大会のほかに大阪・淀川市民マラソン、摂津淀川マラソン、淀川国際ハーフマラソンなどの大会も開催されているようだ。
今回は大阪の大会ということもあり、前日名古屋から京都に移動。15時過ぎに名古屋を出て夕方には京都の部屋に到着していた。
途中JRは琵琶湖を反時計回りに回る湖西線が貨物の立ち往生で全線運転見合わせだったらしいが、自分の乗る琵琶湖線の方は問題なかった。
到着してから晩御飯を食べつつ明日のマラソンについても調べ、他にもパソコンで作業をしてから1時前ぐらいには床に就いた。
4月3日日曜日の朝は6時半に起き、この日付き添いで来てくれることになっていた友人に電話してから、朝ご飯に恒例のボンゴレビアンコのパスタを牛乳を飲みながら2つ食べる。
そして友人が到着の後、7時35分ぐらいに部屋を出発し歩いて阪急の最寄り駅へと向かう。
ちなみにこの日は最近の暖かい気温の傾向が一変して肌寒く曇り空、会場付近は風も強い一日になってしまったのだった。
走る方としては気温が少し低いのは歓迎ではあるが、風が強いと逆に記録が出ないので微妙な天候だ。
自分もまだコートを着ていったし、友人も帽子とマフラーをつけ完全防備だった。
駅に到着すると切符を買って改札を通り梅田行きのホームへ移動。するとちょうど先発の準急が到着するところだったが、自分たちの行くのは十三駅の一つ手前の南方という駅だったため、その電車はスルーして次の快速急行に乗る。
電車が来る前には友人が朝ご飯がまだだったため、昨日近くのスーパーで買っておいたスイーツをまず食べておられた。スプーンは使い捨てのがなかったので、いつも使っているものを家から持参してきていた。
それから電車が到着すると日曜の朝早くということもあり問題なく座れ、車内で友人が朝ご飯を食べることに。
マウントホイップケーキともっちもっちベーコンチーズの2つのパンを食べ、飲み物は友人が持参してきた十六茶の缶ボトルに入ったお茶だった。
それから外の景色を見ながらの電車の旅となるが、3月中かなり冷えた日が多かったこともあってか桜の開花も遅く、外の景色を見てももうちょっとで咲くのにという桜の木が多かった。
そのため明日からの桜の取材撮影が少し心配にもなるが、しかしこればかりはなるようにしかならない。
そんな話を友人としていると時刻はいつの間にか8時19分になっていて、電車はあっという間に淡路駅に到着する。
この点十三駅まで行き一つ戻ってもよかったのだが、どちらにしてもあまり変わらないであろうということで手前の淡路駅で降り、それから少し待って8時22分発の普通梅田行きに乗り換えた。
ここまで来るとホームにはスポーツウェアにスポーツバッグという姿の人もいて、明らかに同じ大会に参加するであろうことが予想でき、自然と気持ちも盛り上がってくるのだった。
そして8時26分にようやく目的地の南方駅へ到着する。
電車を降り南方駅のホームへ出ると改札の方へ歩いていきかけたのだが、その途中ホームのすぐ横の所にトイレがあるのを発見する。
そしてまだ時間にも十分余裕があったので、トイレは行ける時に行っておくべしというマラソン大会におけるトイレの鉄則どおりに自分は前もってここで用を足していくことにしたのだった。
少し時間がかかり友人を待たせてしまい8時33分に電話がかかってきたのだが、何とか済ませると8時38分に改札を出て、8時39分に駅の外に出る。
ちなみに阪急南方駅というのはそんなに大きな駅という訳ではなく阪急の駅としてはオーソドックスな駅に見えたのだが、大阪市営地下鉄御堂筋線の西中島南方駅もすぐ近くにあるので交通の便はかなりいいと思われる場所である。
またすぐ横を新御堂筋(国道423号)が通っているのだが、これは新幹線の新大阪駅のある大阪北部から梅田にかけてを南北に貫く幹線道路で全国屈指、西日本でもトップの交通量を誇る道路ということで車でのアクセスも便利なようだ。
阪急京都線はその新御堂筋とちょうど交差するような形で十三に向かっているのだが、駅の外へ出るとその新御堂筋の高架がすぐ横にずっと伸びていて、その高架の下あたりで左を指し示す赤い矢印に「なにわ淀川ハーフマラソン」と書かれたプラカードを持ったスタッフが立っていたので、まったく迷うことなく人の流れにも従って高架沿いに歩いていく。
すると少し行った先の所に高架へと上がる階段があり、大会に参加すると思われるランナーたちが多数その階段を上って上へと上がっている所だった。
自分たちもそれに従って階段を上っていくと前述の新御堂筋という大きな通りに出る。
そして目の前にはもうすぐそこに淀川の河川敷が広がっていて、その広場には青と白、赤と白、黄色と白といった色合いのたくさんのテントが設置されて人も既にたくさん集まっているのが見えた。
それからそのまま歩道を少し歩くと再び降りる階段があり、そこを降りるとすぐに河川敷に出ることができ、あとは土手の傾斜を少し降りるともう目の前は大会会場だった。
8時44分には到着できたので、信号待ちを含めても阪急南方駅から歩いて5分ぐらいしかかかっておらず、本当に抜群のアクセスの良さだ。
ちなみに大会会場となっている淀川河川敷の広場は、淀川河川公園の西中島地区野球場という名前らしい。
会場に到着すると広場の一番手前の所に「受付」と書かれた白色のプラカードがあり、そのすぐ先の青と白の縞々のテントが大会受付となっていた。
さっそく受け付けを済ませ、ゼッケンとミズノのロゴの入った大きな白い袋を受け取る。
それから着替えをするために待ち合わせ場所を決めた上で一度友人と別れ、友人は会場周辺を撮影しに出かけていった。
一方自分は受付の青と白の縞のテントの奥の方に見えた黄色と白の縞のテントが更衣室であることを知りそちらに向かったのだが、中は大変な混雑。
しかもこの日は下のパンツなどは事前に身に着けてきていたということもあり、更衣室のテント前の芝生に荷物を置いてそこで着替えることにした。
この点更衣室はちょっと狭かったようで、テントの外で着替えている人の方が多いぐらいだった。このあたりは今後の課題かもしれない。
前述の通り下は履いてきていたものの、ゼッケンをつけて上半身をシャツに着替え、更に靴にランナーズチップを装着したりと結構忙しく、10分ぐらいかかり着替えが済んだ頃にはもう9時を過ぎて大会開会式も始まってしまっていた。
そこで着替えを済ますと、慌てて開会式の様子を探りに向かう。
開会式は会場入口から入って奥の方にある青と白の縞のテントと黄色と白の縞のテントが交互に置かれているあたりの裏の広場で開かれていた。
自分が姿を見せた時には大会関係者の人の挨拶だったと記憶しているが、じっくりと聞いている時間は残念ながらなかったので、開会式の様子を一枚撮影を済ませると荷物を預けに預かり所へと向かう。
今回は友人も同行してくれていたのでいざとなれば預けてもよかったのだが、重い荷物を預かってもらうのも悪い気がしたし割としっかりとした荷物置き場がありそうだったので、そちらに預けることにしたのだった。
荷物置き場は白いテントで、おそらく大会会場を入って奥の方、開会式のあった広場の裏あたりだったと思う。
四角形の広場がロープで仕切られて作られ、入口から入ると両サイドに白いテントが設置されてその中に棚が並べられ、テントに張られたゼッケンの下2桁と一致する場所に荷物を置いて、入口とは反対方向にある出口から出るという仕組みになっていた。
荷物は各エリアに担当者がいる訳ではなかったのでゼッケンの下2桁と同じ場所に置かなくてもよかったようだが、入口と出口はきちっとゼッケンと荷物につけたタグをチェックしていて、荷物を一つ持って入り、一つしか持ち出せないようになっていたので、荷物置き場としては機能していたと思う。
ただ5000人の参加者がいたことを考えると、入口と出口のチェックの係員の人の負担は大きく少し大変だったかもしれない。
これに関してはオーソドックスに番号などでエリア分けし、エリア毎に係員を置いて管理させた方が荷物にも目が届きやすいし混乱なく進められたようにも後から考えると思える。
人数の大きい大会だとどうしても大変なのだが、エリアを分けて担当スタッフを置くことで問題なくちゃんとできている大会もこれまでに見てきているからだ。
もっとも荷物預かり所に到着した際、自分は最初間違って出口の方に行ってしまい係員に止められて入口の方へ回り直そうとしたのだが、ちょうどその時になって開会式会場の方から元気な声が聞こえてきたため、慌てて荷物を持ったまま引き返すことになる。
元気な声というのはもちろん今回のゲストランナーとして告知されていたタレントの森脇健児氏で、彼が話しはじめた途端に場内が一気に盛り上がったのはその場にいた皆さん感じたことと思う。
森脇健児氏といえば関西出身で数々のバラエティ番組に出演してきたお笑いタレントだが、高校時代にはインターハイの短距離走種目で当時の高校記録(100mを11秒2)をマークするなど陸上選手としても活躍していたそうだ。
そして芸人になってからも芸能人ランナーとしてTBS系列の春と秋の「オールスター感謝祭」のコーナーの一つである「赤坂5丁目ミニマラソン」などにも出場しているし、最近では森脇健児陸上部を組織して「走る男」というテレビ番組にも出演している。
森脇氏は当然マイクを持ってトークを展開しはじめたのだが、それまで話していた大会関係者とはもうまったく声量が違っていて、どこにいても聞こえるぐらいの大きな声。
そして最初の挨拶からもう引き込まれていく感じで、その後も関西のお笑い芸人らしくコテコテの関西弁を駆使して楽しくその場を盛り上げてくれた。
それから今回は森脇健児陸上部の面々もやって来ているということで、自己紹介がはじまったのだが、これがまたなかなかに楽しかった。
ただ申し訳ないことに全然存じ上げない方ばかりだったのだが、女性メンバー3人の自己紹介の所は印象に残っていてかなり笑ってしまった。
はっきりと詳しく内容までは覚えていないのだが、年齢はと聞かれると20代前半、20代後半、30代後半と上がっていき、今回の目標はと聞かれると1時間、1時間10分、完走できればという感じで、3人目の女性が自分を捨てて笑いに徹するという役回りだったようで、確かにかなり面白かった。
男性陣の方は申し訳ないが…残念ながらどんなことを話したかほとんど忘れてしまった。
時間にしたら5分ぐらいだったと思うが、自分はステージから5mくらい離れた左斜め45度ぐらいの位置からずっと見物していた。
そして森脇氏と森脇健児陸上部の楽しいトークが終わると、再び荷物を持って預かり所へと向かう。
預かり所に到着すると入口そばにあったテーブルで緑色のタグにゼッケン番号を書いてバッグに括り付け、入口の係員のチェックを受けて預かり所の中へと入っていった。
中に入ってみると荷物を置く棚は十分数が足りておらず、棚の下に敷かれた青いビニールシートの上にたくさんの荷物が結構無造作に置かれていた。
この点大会参加者の数はだいたい分かっているはずであるから、もう少し棚の数を確保しておいてもよかったかもしれない。
ただ青いシートが敷いてあり上は白いテントなので、雨が降っても一応は大丈夫だったとは思う。
再びステージの前に戻ってくるとそのあたりではランナーたちがエアロビクスの準備体操を一斉に行っていたのだが、自分は友人とまだ合流を果たしていないのでそれには参加できなかった。
するとほどなく9時13分ぐらいに電話がかかってきて、開会式の行われていたあたりの青と白の縞のテントの横に掲げられていた「走魂」という文字の入った森脇健児陸上部の旗の前の所で無事合流を果たす。
友人はちゃんと森脇健児陸上部たちのトークも撮影できたようだったが、ただもう時間もスタート時刻の9時半まで15分という時間になっていたので、オレンジ色のヴァームゼリーinセラミドを飲んでから、レース後の再開を誓って慌しくスタート地点へと向かっていった。
スタート地点はちょうど新御堂筋の橋を河川敷の方に降りて大会会場のグラウンドに入る手前あたりから東へ向かって続く道の途中に設置されたスタート&フィニッシュ地点のゲートにかけてで、そこにハーフに出場する3000人ほどのランナーがズラッと並ぶ形で予定されていたようだった。
そしてスタート地点に行くと、ここでまたこれまで出場してきたレースでは経験のないことに遭遇する。
それはスタートが目標タイム順に分けれてていたということだった。当然速く走れるランナーが前の方に行った方が望ましいにきまっているのだが、前から順番に1時間30分以内、1時間31分~45分以内、1時間46分から2時間以内、2時間以上…といった感じでプラカードを持ったスタッフがいて、あくまで自己申告ではあるものの自分が該当する所に並べばいいのだ。
そうすれば周りは当然自分と同じペースの人ばかりになるはずであるから、必要以上に抜かれることもないだろうし、早い人のペースに吊られて走って最初入り過ぎることもないので非常にいいやり方だと思った。
ちなみに自分は普通だったら1時間46分から2時間以内の所に並べばよかったのだが、もう結構な行列ができていて後ろに並ぶとかなり後ろに並ばなくてはいけなかったため1時間31分~1時間45分の所の一番後ろの方に陣取ることにした。
それからしばらくはストレッチをしたり周囲を軽く撮影したりしながらスタートの合図を待つこととなる。
そして時刻はスタートまであと3分ぐらいになったのだが、とここでまたしても森脇健児氏が登場。
どうやら案内役の女性の方と一緒にハーフのスタートを盛り上げ、更にスターターも務めてくれるらしかった。
森脇氏はまずマイクを手に取ると森脇氏は後ろのランナーに自分の声が聞こえるかと確認。
その後案内役の女性がこの日のハーフは2000名で募集をかけたにも関わらず3309名が参加してくれたという情報を教えてくれたのだが、今度は森脇氏がこれから10月には大阪マラソンもあるけれどもいきなりフルマラソンはしんどいのでまずはハーフから攻めてもらいたい、今回はよく出場してくれましたと言いつつ、ハーフのランナーたちに初めて走るという方はどれだけおられますかと尋ねる。
すると結構な人数のランナーたちの手が上がったのだが、森脇氏は「結構おられますねー」と手が上がるのを確認してから、「言うとくでー、しんどいでー」と問題発言。するとランナーたちからは大きな笑い声が巻き起こった。
それから「普通じゃないでー」「途中で思うでー、10キロにしといたらよかったって、でももう無理やでチップついてるから」と続けるとランナーたちは爆笑。
その後「行くでー、スタートやで」と叫んだのでいよいよスタートかと思ったのだが、まだまだ森脇氏はしゃべり足りないらしい。
案内役の女性が手を挙げたランナーが後方に多いことを指摘すると、「偉い偉い、あまり遅いのに前の方に来たら迷惑なんですよ」と合いの手を入れつつ、後ろのランナーたちに向かって「前にいるランナーなんか足の筋肉からメガネのかけ方から」違うし、「この日のために体を仕上げてきている」から「こんなん相手にしたらエラい目にあうで」とヒートアップ。
そしてトドメとばかりに「後ろのランナー、今日はビール美味いでー」と叫ぶと、この日一番の大爆笑となったのである。
その後も「初めて出るランナーの方、緊張してください」と言ったかと思えば、「たかが走るだけですよ」と叫び、続けて「この緊張感を楽しんでください」と言ったかと思えば「こんな緊張感、子供の時以来でしょ、運動会のかけっこ以来だと思いますよ」という感じで爆笑トークが続く。
そして最後に「この緊張感を楽しんで楽しんで走り出してください、走り出したらそんな緊張感すぐに吹っ飛んで、しんどいつらい苦しい、でも楽しい、新しい自分と出会えます」という感じで締めると、ついにスタート1分前となる。
以上のような感じで森脇氏のおかげでランナーたちはスタート前の緊張感をほぐすことができつつ、スタートの合図を迎えることができたのである。
それから場内には音楽が流れはじめ森脇氏が「21.0975キロを自分なりに楽しんで笑顔でゴールしてください」と叫ぶとスタート30秒前。
そして自分の目標タイムをきっちり作って頑張って走ってください」「どうせしんどいんです、ならば楽しみましょう」叫ぶとついに10秒前となり、束の間の静寂の後、ピストルの号砲とともにスタート。
3000名ともなると一斉スタートとはいかず、徐々に徐々にスタートラインを通り抜けることとなるが、森脇氏と案内役の女性の「笑顔でいってらっしゃい」「頑張ってください」というエールを受け取ってランナーたちは淀川河川敷のコースへと繰り出していったのだった。
そんな感じでとても盛り上がるスタートだったのだが、あまりに楽しく笑えたこととスタートラインを通過する時に森脇氏らの写真を撮ることに夢中になっていたこともあって、スタートライン通過がはっきり何秒だったか計測するのを忘れてしまった。
ただ写真の撮影時間をチェックすると9時30分40秒になっているので、40秒から50秒ぐらいのロスタイムなのではないかと思う。
ちなみに友人はスタートのゲートをくぐってちょっと行った先の道の左側にいて、頑張ってくると合図を送ると写真も撮ってもらえたのだった。
スタート&ゴールのゲートを抜けると河川敷に沿ってまずはまっすぐ走っていくが、すぐにJR東海道本線の高架が見えてきて、その手前で直角に右に曲がり少し進むとまた直角に左に曲がってその高架をくぐり抜けていく。
そしてそこからしばらくは淀川の河川敷をまっすぐ東に進んでいくのだが、このあたりはずっと舗装された道路が続き、道もそんなに狭くはなく3000名のランナーが走っているが走りにくいということは一切なかった。
それから5分ほど走ると向こうの方に大きな橋がまた見えてきて、走った当時はまったく知らなかったのだがそれが天神橋だった。
そしてその天神橋の下をくぐり抜ける途中に最初の1キロ地点の表示があり、タイムはだいたい6分秒ちょうどぐらいだったと記憶している。
スタートのロスタイムの40秒とゆっくりした走り出しを考えればほぼ1キロ5分ペースで入っており、出だしはまずまずであった。
ちなみに距離表示のプラカードは白い板に黒い文字で書かれていたが、大きさもまずまず大きいしコースの周囲には取り立てて他に気を取られるような何かがある訳ではなく河川敷が続くので、表示を見落とすことはまずないと思う。
天神橋をくぐるとすぐにまた阪急千里線の高架があり、そこをくぐり抜けて少しすると直角に左に曲がって右に曲がるコースとなっていたのだが、その途中に簡易トイレが道の左側に設置されていて、これ以外にもこの淀川河川敷にはかなりの数のトイレが一定の間隔ごとにあった。
これは大会のために設置されたのか、普段からあるのかは普段このあたりを走っていないので分からないが、走る方としては有難いことではある。
その後淀川から分岐して中之島の方へと流れている大川との分岐のあたりを通り過ぎ、左横に野球かサッカーでもできる広場のあるあたりで2キロ地点を迎えたのだが、残念ながらここの2キロの表示はタイミングが遅れて撮影に失敗してしまった。
ただタイムは11分16秒ぐらいで、この1キロも5分10秒ぐらいでまずまずだったと記憶している。
それから左右に草や背の低い木が結構生い茂っている道をまっすぐ進んでいくと、400~500mぐらいいった先に高架があり、その手前の工事中になっていたあたりがこの大会では唯一といっていい上り下りになっていたのだが、大した坂ではないのでペースを乱されることもなかった。
そして確かこのあたりだったと思うのだが森脇健児陸上部の黒いシャツを着て走っている年配の男性ランナーを目撃する。
本当に陸上部の人なのか、それともただ単にシャツをどこかで買って着て走っていたのかは、その後すぐに自分の視界から消えてしまったので最後まで分からなかった。
その後もう一つ高架をくぐり抜けてすぐの所に3キロ地点の表示があり、タイムは16分18秒と1キロ5分ちょっとでだいぶいい感じになってきていた。
そして3キロ地点を過ぎるとすぐに最初の給水があり水を取って飲んだのだが、この日はスタート時で6.6度とかなり低い気温となったため、あまり汗はかいていなかったと記憶している。
給水所からしばらくは左に緩やかな土手、右が草むらでフラットなアスファルトの道がまっすぐ続いたのだが、ほどなく4キロ地点がやって来てタイムはだいたい21分24秒でまたしても1キロ5分ちょっとのペース、いい手ごたえを掴んだ状態で5キロを目指して走り続けていく。
ちなみにこの4キロ地点前後で1つ高架をくぐっているはずなのだが、4キロの手前だったか後だったかはちょっと忘れてしまった。
地図で見た限りでは橋をくぐった後に4キロ地点があったのではないかと想像される。
4キロから5キロの間も同じような左に土手、右に草むらの見通しの良い道が続き、ほどなくして前方に大きな橋が見え、その手前に5キロ地点の表示が見えてくる。
ここまでは問題なく通過でき、タイムはおよそ26分34秒ぐらいでまたしても1キロ5分10秒ぐらいのペースだった。
だいたいこのペースで次の5キロも走れれば、このシーズン一番の好タイムだった大阪ハーフマラソンの時の10キロの51分45秒ぐらいのペースで10キロをカバーできそうなので手ごたえを感じる。
ところがここから少し苦労することとなるのである。
目の前に見えた豊里大橋という橋をくぐって少しいった先に2度目の給水所があり、ここも水を取ってしっかり給水を取ったのだが、次の6キロ地点は31分54秒ぐらいで、給水があったとはいえ1キロ5分20秒ぐらいと少しペースダウン。
そしてそこから7キロ地点までもずっとコースはフラットなのだが、景色も変化が少ないので気持ちの持っていきようはちょっと大変だったかもしれない。
ちなみに7キロ地点の通過は37分14秒ぐらいで、またしても5分20秒ぐらい、少しずつ1キロのタイムが遅くなってきていた。
7キロを過ぎてからようやくコースにも少し変化が出てきて、まず7キロを通過した直後ぐらいに左手に工場のようなものが見え、モクモクと煙を出しているのが見えてくる。
それから0.5キロは進んだであろう所で、急にアスファルトの道から芝生を横切っていく道が1分ほど続く。
芝生は赤いコーンと黄色いヒモで仕切られていたのでコースを間違えることはないが、急な変化に少し面食らったのは事実だ。
それでもほどなく芝生のコースは終わって淀川のすぐ横を通るアスファルトの道に再び戻り、それからすぐの所で8キロ地点の表示がやってくる。
タイムは42分34秒ぐらいで、またしても5分20秒ぐらいと一定といえば一定のペースで走ってはいた。
この後はフラットな道が続いて、確かこのあたりでは高校生か何かが野球の練習をしていたのが左手に見えたと記憶している。野球の練習している人達が物めずらしそうにこちらをチラッと見たりしていたのが印象的だった。
そしてそれからしばらくして鳥飼大橋という橋の下をくぐったすぐあたりに9キロ地点があったのだが、この9キロ地点の前後は舗装されていない砂利道で若干走りにくかった。
またこのあたりになると明らかに走り込み不足の影響が出てきていて、9キロ通過のタイムは47分56秒ぐらいと1キロ5分30秒に近いペースになってしまう。
年度末の忙しさもあり3月6日の大阪ハーフから3月20日の京都ロードレースで5キロ走った以外はほとんど走れていなかったので、仕方がないといえば仕方がないのだが、やはり思うようにペースが維持できないのは悔しかった。
9キロ地点を過ぎるとすぐに左に駐車場のような広場があり、そこを直角に左折してすぐまた右折するといった感じで進んでいき、30秒か40秒ぐらい進んだ所で3度目の給水を迎える。
そこでは結構しっかり給水したと記憶しているのだが、欲を言うとこの辺りでは水ではなくスポーツドリンクが飲みたかった。
給水を終えるとすぐに再びアスファルトのちゃんとした道に戻り、再び左に緩やかな土手、右に高さの低い木と草むらの景色が続いていく。
そこを粘りの走りで頑張ると何とか10キロ地点を通過。タイムは53分20秒ぐらいで、ネットタイムでも52分40秒ぐらいと目標にしていた51分45秒からは1分ぐらい遅れてしまっていた。
それでも決して自分としては決して悪い方でもなかったので、とにかく粘りの走りを続けていくしかないと思い折り返し地点までの残り500m弱の距離を走っていった。
折り返し地点は鳥飼仁和寺大橋という橋のちょっと手前だったらしく、それまでと同じ左手に緩やかな土手が広がり右は低い木と草むらという景色で、唯一左手に白いテントがあったのがアクセントになっていた。
それでも道の真ん中は赤いコーンと黄色と黒のバーで仕切られていてすぐに分かったし、黄色地に赤い矢印も出ていたので分かりやすかった。
また直前には右手の草むらには白い花をきれいに咲かせている背の低い木がいくつかあって、それだけでもだいぶ癒されたことも付け加えておく。
折り返し地点を通過したのは10時26分22秒ぐらいで、スタートから56分22秒。同じペースで残りを走ったと仮定すると1時間52分44秒なので、1時間51分台だった3月6日の大阪ハーフマラソンのタイムを上回るのはかなり厳しいことはこの時点でもう分かっていた。
気温も10度以下で低くずっと曇り空だったが、風は少しきつくて他のランナーたちも記録は全体的に出にくかったらしい。ただ自分は風はあまり気にならなかったのだが。
折り返し地点を過ぎてから再び500mぐらい進んだ所で11キロ地点を向かえるが、ちょうどこのあたりに前述の白い花がきれいに咲いていた。タイムは59分6秒ぐらいで1キロ5分45秒ぐらいかかってしまう。
ちなみに今回のハーフは行きと帰りがまったく同じコースになっているので、1キロ毎の表示も給水所もまったく左右対称のような形で同じ場所にある。
そのため11キロ地点を過ぎて12キロ地点のすぐ手前の所に給水所があったのだが、このあたりは折り返し前のランナーを右に見ながらアスファルトの道の横の芝生を走っていくことになった。
ほどなくして給水所へ到着するが、確かここにはなぜかアミノバリューの紙コップのスポーツドリンクが用意されていて、しかも飴がたくさん置いてあったと記憶している。
確か飴はもう一度あって取った記憶があるのだが、スポーツドリンクはここ一度だけだった。自分が気づかずにただとり損ねただけかもしれないが。
そして12キロ地点については給水所で給水に夢中になっていたせいかプラカードを見落としてしまい正確なタイムは分からなかった。
それでも粘りの走りで鳥飼大橋をくぐり抜けると再び野球をしている横を通り、13キロ地点の通過タイムは1時間9分32秒ぐらいだった。
11キロ地点からの2キロで10分26秒ぐらいなので、折り返してペースの遅いランナーとすれ違うことで少し元気が出たのか逆にペースが上がっていたようだ。
ところがこの13キロ地点通過してから14キロ地点に到着するまでの間に2つアクシデントがあった。
一つは道のデコボコにつまずいたような感じでバランスを崩してしまい危うく転倒しかけたのだが、その際に右肩のすぐ後ろあたりがピリッときたのである。
幸いこれはちょっとするとほとんど気にならなくなったのだがヒヤリとした瞬間だった。
そして次は14キロ地点の手前に続く芝生を横切るあたりでの事だった。その真ん中あたりで突然右足の中指あたりにピリッとした痛みを感じたのだ。
その後は痛みは感じなかったものの、マメが破れた時のようなぴちゃぴちゃした感じで足の指のあたりにずっと違和感を感じつつ最後まで走り続けることとなるのだが、実は後で着替えをした時に分かったことだがマメがつぶれたのではなく中指の爪が割れて血が出ていたのだった。
そんなことはつゆ知らず14キロ地点を懸命に通過するが、タイムは1時間15分22秒とやはりこの2つのアクシデントの影響か1キロ5分50秒ぐらいかかってしまう。
それでも行きにモクモクと煙を上げていた工場の横を通り過ぎ、景色に変化のないコースを粘って走って、15キロ地点では1時間20分36秒と再び1キロ5分15秒ぐらいのペースに戻す。
ただあまりにこの2キロの1キロごとのタイムが違い過ぎるので、実際はどちらも1キロ5分30秒ぐらいで走っていたのかもしれない。
その後も粘りの走りで豊里大橋前にあった5度目の給水を迎える。
このあたりまで来るとさすがに反対側にはランナーはまったくいなかったが、確か豊里大橋を渡ってすぐの16キロ地点付近で折り返し前最後のランナーとすれ違ったと記憶している。
ひょっとしたら13キロ地点だったかもしれないが、まだ5キロ地点を頑張って走っているんだと感じた記憶があるので、16キロ地点で間違いないと思う。
そして豊里大橋を過ぎ16キロ地点の通過タイムは1時間26分8秒で、給水があったこともあってかやはり1キロ5分30秒ぐらいかかっている。
続く17キロ地点では1時間31分34秒で5分26秒とほとんどペースは変わらず、少し遅いペースとはいえ一定しているといえば一定していた。
ちなみに17キロ地点の写真には17キロ地点の表示のすぐ先に高架が見えているので、やはり4キロ地点は高架を過ぎてすぐにあったということで正解だった。
この15キロ過ぎからラスト3キロぐらいまでは景色も単調なので本当に辛抱のしどころだったのだが、とにかく最近心がけている下を向かずに背筋を伸ばし前を向いて走ることを心がけた。
そして18キロ地点手前で最後の6度目の給水を済ませたはずだが、残念ながらその場面の写真は残っていない。
確か給水をした上で、おそらくここで2度目の飴をもらったのではないかと記憶している。
そして18キロ地点を通過した時にはタイムは1時間37分10秒ぐらいで1キロ5分36秒、給水があったことを考えればまずまずのタイムだ。
ちなみにこの後は19キロ地点20キロ地点の表示はなく、残り2キロ、1キロという表示しかなかったのだが、そこから97.5m手前が19キロ、20キロ地点なのでさほどペースを測るのには苦労しなかった。
それから高架をくぐり抜けると工事中になっていてこのコース唯一の上り下りのあるエリアを通過するが、このあたりでは精神的肉体的に正直かなりきつかったと記憶している。
そして左右に草が生い茂る道の途中に残り2キロの表示があり、通過タイムは1時間43分12秒。さすがに1時間51分台は絶望的だが、それでも1時間55分は切りたい所だ。
ただ残り2キロを11分48秒以内で走れば可能、つまりほぼ1キロ6分でも大丈夫ということで、ここまでのペースを考えればそれは問題なく可能だった。
その後折り返し前とは逆にトイレがある所を直角に左に曲がり、更に右に曲がると阪急千里線の高架があり、そこをくぐるとすぐにまた天神橋の下をくぐり抜ける。
そしてその途中に最後の距離表示となる残り1キロの表示があって、通過タイムは1時間48分58秒だった。
ただこのあたりで少しショックだったのが阪急千里線の高架を通過したあたりで、若い元気な女性ランナーなどに何度か抜かれたことだ。
明らかにペースが違うので何でこの最後の最後になってこのあたりを走っているのか分からなかったが、こういうことがあると結構凹む。
ちなみにネットのランニング系のサイトに寄せられている他のランナーの皆さんの感想を見ていると、ハーフの残り5キロというところで10キロのランナーと合流してコースが埋まって走りにくかったという感想が結構多かったのだが、ハーフのスタートが9時半で10キロの部のスタートは10時10分だったらしいので、鉢合わせになるとしたらハーフの人はかなり早いタイムを持っている人なのだろうと思う。
なぜなら10キロの部の5キロ地点にはだいたいのランナーが30分前後で差し掛かるのだから、9時半スタートのハーフのランナーは10時40分過ぎに残り5キロ地点に差し掛からないと10キロのランナーとたくさん鉢合わせというのはあり得ないからだ。
16キロ地点で11時間10分で来るということは1時間40分を切るぐらいでないと無理なので、やはりかなり早い部類に入る。
ただそれでも結構数としてはいない訳ではないので、もう10分から20分ぐらい10キロの部のスタートが遅ければほとんど鉢合わせはなかったのだと思う。
そういうこともあり最初はその早いランナーは10キロのランナーかとも思ったのだが、その時時刻は11時20分で10時10分スタートのランナーだと1時間10分ペースで走っていることになり、そのランナーのラストスパートとも思えないので、やはり自分がラストの2キロぐらいを走っていた時は周りはほとんどがハーフのランナーだったのだと思って間違いないと思う。
最後の1キロも結構しんどくて、しかも右足の中指の爪の違和感もやはりあったのだが、それでも粘りに粘ってJR東海道本線の高架がをくぐり、すぐに直角に右に曲がり少し進むとまた直角に左に曲がってフィニッシュのゲートが見えた時には、本当にホッとした。
そしてフィニッシュのゲートをくぐり抜けるとストップウォッチを止めるが、手元の時計では1時間54分41秒、まずまずの記録で無事完走できたのだった。
無事完走を果たすと友人が出迎えてくれてねぎらいの言葉をかけてくれる。
それからまずアミノバリューをカップでもらい、その後ランナーズチップを青と白の縞のテントの所で返却し、今度は赤と白の縞のテントで完走証を発行してもらい受け取ると、変なナスのコスプレをしたランナーがいて一枚撮影するが、その後荷物置き場に向かい荷物を回収して外に出る。
するとちょうどその頃裏のステージでは表彰式がはじまって、また元気な森脇氏の声が聞こえてきたので慌ててそちらに向かう。
表彰式会場に到着してみるとステージ上では男子10キロの部の表彰式が行われていて、上位6人のランナーたちが表彰を受けていた。
その後6人のランナーたちと森脇氏とのやり取りとなり、ここでもかなり面白おかしくトークを展開して会場を沸かせていたのが印象に残っている。
それから今度は女子10キロの部の表彰がはじまり、ここでも森脇氏のトークが炸裂する。
表彰式の上位の人たちは結構大阪の大会の常連のようで森脇氏も顔を知っている人も多いようで、年齢のことを盛んに突っ込んでいたのが印象的だった。
上位に入ったのは皆30代や40代ばかりで、最初は森脇氏に年齢のことを散々冷やかされていたのだが、頑張って走ればそれぐらいの年齢になってもいい記録は残せるのだと最後は上手く締め、ここでもトークは大盛り上がり、最後は記念撮影をしてから終了した。
それから森脇氏はステージを降り右手の青と黄色のテントが交互においてある裏のあたりで少し休憩していて、その周りには森脇健児陸上部の面々も集まり、更にランナーの何人かが握手や記念撮影を求めてきて、それにも気軽に応じていた。時刻はこの頃11時50分ぐらいだった。
それを見届けてからようやくで着替えをするために更衣室に向かう。
今度は下も着替えなければいけないので黄色と白の縞のテントの中に入って着替えをするが、やはり結構狭くて着替えるのが大変だった。
入って左端の所でほとんどスペースがない中で大変だったが、ぐずぐずしていると次の表彰がはじまりそうだったので、できる限りのスピードで着替えた。
ただその時右足の靴下を脱いだ際に中指の爪が割れていて結構出血があったことを知ったのは前述の通りである。
それでも途中で次の表彰がはじまってしまい、着替えを済ませると12時ちょうどぐらいに慌ててステージの方に戻るが、次の行われていたハーフの部男子の表彰は最後の記念撮影ぐらいにしか間に合わなかった。
ただ友人はこの間終始ステージの右前のいい位置で写真を撮っておられたので、表彰式の様子はきちんと残っているようだ。
ハーフ男子の部の表彰式が終わると次はハーフ女子の部の表彰がありそうだったが、お腹も結構空いていて、しかもちょうど昼時で昨年11月の西宮国際ハーフの時みたいに行列に並んだ上で食べたいものが売り切れになったりするのも嫌だったので、自分は荷物を持って表彰式の行われたいた広場のちょうど反対に設置されていた屋台の方まで歩いていって何か買うことにする。
屋台は南方駅から会場へやって来たとすると一番奥にあり何だか隔離されたような位置にあったのだが、屋台のテントはいくつか出ていて、しかも内容も結構充実していてたくさんの人が並んだり、椅子に座って食べたりしていた。
自分はその中でまず真ん中あたりにあったたこ焼の屋台に並ぶが、ちょうど作っておいたのがなくなり新しいたこ焼を焼き始めたばかりだったので、結構待たされることになる。
その間にハーフ女子の部の表彰もはじまってしまい、また森脇氏が軽快なトークを繰り広げているのを耳で聞きながら並び続けていた。
そして7~8分待って12時10分過ぎにようやくたこ焼を購入すると慌ててステージの方に戻る。
するとちょうどハーフの女子の部の最後の記念撮影には何とか間に合った。
それから表彰式が終わると今度はまた森脇健児陸上部の面々がステージ上にあがり森脇氏と一緒になってトークを展開しはじめる。
そしてトークだけでなくいきなりネタをやれと森脇氏に無茶ぶりされると、赤いジャージをきた若手芸人がマイクを渡されてネタを披露することになったのだが、申し訳ないが名前は忘れてしまった。
ただネタは覚えていて、オチはとにかく最後アロンアルファで体がくっついて取れなくなるというもので、最初は微妙な感じだったが、何度かアロンアルファネタを繰り返しているうちに少しは笑えてきた。
ただ詳しく知りたかったのでネットで検索してみたのだが、残念ながら全然出てこなかった。
ネタが終わると最後森脇健児がまだ走っているランナーに一声かけるようにお願いされるが、今回のレース時間制限がなくまだ走っているランナーがいることをど忘れしてしまっていたのか「えっ」という感じとなり、森脇陸上部の面々から「おいおい」とかそんな感じだと来年は呼ばれないぞといった感じでツッコミを入れられてしまう。
それでも最後には何とかちゃんとエールを送って締めくくりとなったと記憶している。
そんな楽しいトークが終了すると時刻は12時15分を回ったぐらいで、まだたこ焼も食べられていなかったので、それを持って友人とフードブースの方に一緒に向かい、屋台の外側にあったベンチに腰掛けて食事をすることになる。
それから写真撮影を済ませてさっそく頂いたのだが、たこ焼きはまだアツアツでソースとマヨネーズとかつおぶしがたっぷりかかっていて大変美味しく頂くことができた。
それから友人ががんこ亭の屋台の方に向かい、フランクフルトと天ぷらうどんを買ってきてくれて食べることに。
天ぷらうどんもアツアツでえびの天ぷらの大きいのが2尾も乗っていてボリュームがあり、うどんもコシがあってツルツルと食べられた。
フランクも結構大きくてケチャップとマスタードを合わせて美味しく頂いたが、正直寒い天候で風も強くて外で食べるのはちょっとしんどい感じもしたのだが、それにも関わらずビールが欲しかったぐらいだった。
ちなみに飲み物は自分が家から持参してきたヴァームの500mlのペットボトルを飲んだ。
マラソンサイトの大会レビューで他の方も書いておられたのだが、レース後の飲み物がカップ1杯でペットボトルをもらえなかったのはちょっと残念だったが、自分で持参してきておいて正解だった。
ちなみにがんこ亭の屋台では他にもいなり寿司とかうなぎ入り巻き寿司とか焼きそばとかもあって、屋台はまだ大変賑わっていた。
12時45分少し前に食事を終え、それからステージ横の青と黄色のテントが交互にあるあたりの端にあった掲示板に大会結果の速報が出ていたのに自分の名前とタイムが載っているのを確認してから、もう一度フィニッシュライン付近を撮影。
まだハーフのランナーがパラパラとゴールしていて、中には場内アナウンスの声に促されるような形で二人で手をつないでフィニッシュする人もいたと記憶している。
それからグラウンドの外に出て土手のあたりで会場全体を一枚撮影してから、12時48分に大会会場に別れを告げた。
朝来る時にも見かけたプロミスの看板がある前を通って新御堂筋の通る橋を渡り、少しいった所にある階段を下りて高架の下に出る。
そして高架に沿って少し歩くと間違って地下鉄の出入り口に行きかけるが、すぐに修正して12時56分に阪急南方駅の南東口に到着する。
改札口すぐ左にあった切符売り場で切符を買うと改札を通り、12時59分発の河原町行きの準急に乗車する。
それから高槻市まで行き13時19分に降車すると、乗り換えを経て13時45分に最寄駅に到着した。
最寄駅の改札を出ると地下通路の所には阪急沿線の桜の開花情報を知らせるさくらだよりと祇園白川のライトアップのポスターが貼ってあるのを目撃する。
白川のライトアップはこれだけ寒さで桜の開花が遅いにもかかわらず4月4日までらしく、明日必ず行かないといけないと肝に銘じつつ、階段を上って外に出る。
それから歩いて部屋に到着したのは14時少し前だった。
その後はテレビを少し見つつゆっくりするも疲れの色が濃く少し寝てしまう。そして起きてからまたテレビで笑点などを見た後、18時過ぎに自転車で近くの商店街に向かい買い物をする。人気の精肉店と西友で買い物をした。
晩御飯はマラソンの日恒例の焼肉で、カルビ、タン、ホルモン、きのことキャベツ入り野菜炒め、もやし、それに最近テレビで人気のシェフ川越氏プロデュースのキムチとビールにご飯という内容だった。
大河ドラマなどテレビを見ながら楽しく食事をし、22時にお開きとなる。
その後夜食にざるラーメンを食べるが、明日は桜の写真取材で早起きのため、0時前には床に就いた。ちなみに今回のレースには三色団子を持参したのだが、結局食べず2パック残ってしまい楽しみは明日に持ち越しとなった。
初めの大会ということでどうなるか不安もあったのだが、森脇健児氏含めスタッフの方も大変頑張って大会を盛り上げてくれたと思う。この時期のハーフというのはなかなかないので貴重な大会だ。
来年はフルマラソン出場も目指しているのでどうなるか分からないが、スケジュールの都合がつけば来年もまた参加したい所だ。
ネットの口コミで調べた今大会のまとめとしては