マラソン

大会結果レポート(2010あざいお市マラソン)

大会データ

Runnet

日時
2010/10/10(日) 10時30分(スタート)
場所
滋賀県長浜市大依町15 浅井文化スポーツ公園
ハーフマラソン
主催
長浜市・(財)長浜文化スポーツ振興事業団
あざいお市マラソン実行委員会
共催
中日新聞社・長浜市教育委員会・長浜市体育協会
主管
浅井陸上競技協会
後援
滋賀陸上競技協会・(株)FM滋賀
支援
長浜警察署・湖北地域消防本部
天候
雨のち曇りのち晴れのち曇りのち雨
記録
グロス:2時間06分36秒
ネット:2時間03分03秒(自己計測)
関連リンク
あざいお市マラソン公式サイト
長浜城歴史博物館
Wikipedia お江のページ
エリック・ワイナイナ オフィシャルブログ
JRおでかけネット - 長浜駅(滋賀県)

大会前

滋賀県とは

大津・琵琶湖周辺

今回のあざいお市マラソンが開催されるのは滋賀県の長浜市である。

まず滋賀県についてまとめると、滋賀県は日本列島の真ん中あたり、近畿地方の北東部に位置する県で、総面積は4,017.36km2、人口約140万人(2010年8月現在)。令制時代の旧国名は近江で、県庁所在地は琵琶湖西岸に位置する大津市である。

滋賀というと何と言っても一番に思い浮かぶのは滋賀県の面積の6分の1を占め、日本一の面積を誇る琵琶湖であるう。湖の水は工業用水や近隣府県約1400万人の飲用水になっているだけでなく、県のシンボルとして湖内のクルージングや花火大会などのイベントの開催、釣りなどの観光資源としても貴重な存在だ。

長浜駅ホーム

また京の都からも近いため歴史的にも東海・北陸を結ぶ交通の要所として重要視され、戦国時代にはこの地を押えた織田信長は経済的にもかなり優位になったし、1576年には天下布武の総仕上げとしてこの地に安土城も築いている。

更に遡ると飛鳥時代の7世紀中頃には天智天皇により、大津に都が置かれたこともある(大津宮)

次に地域構成を見てみると、県の中心に位置する琵琶湖を中心に見て、湖南・湖東・湖北・湖西に分けられる。県庁所在地の大津や草津などを中心とする湖南地域と若狭湾や北陸地方と隣接する高島市を中心とした湖西地域は京都に非常に近く関西文化が色濃く、現在も京都市や大阪市のベッドタウン化が進んでいる。

長浜駅

一方ゆるキャラの代名詞として知られるあの「ひこにゃん」で有名な大津に次ぐ県内第2位の都市として栄えた彦根市のある湖東地域と、新幹線や高速道路の通る滋賀県随一の交通の要所として知られる米原市があり、今回の大会会場である長浜市も含まれる湖北地域は県東部に位置している。

その東部は岐阜県に隣接することから中部圏の文化も若干混ざっているらしい。日本における東西文化の境界線はこの滋賀県東部からお隣の岐阜県関ヶ原ともいわれ、関ヶ原というのは1600年、あの東軍西軍に分かれた天下分け目の戦いの舞台となっただけでなく、東西文化の分かれ目の場所でもあるのだ。

長浜市とは

長浜城歴史博物館

そして長浜市だが、滋賀県の北東部、いわゆる湖北地方の半分以上を占める人口約12万人(2010年11月現在)の都市で、同じ湖北地方の中心都市である米原市からも近く、JRでは3つしか離れていない。

元々は今浜と呼ばれていたが、1575年に後に天下人となる豊臣秀吉が主君・織田信長からこの地を与えられて初めて城持ち大名となったのだが、その際に信長の「長」を頂き「長浜」と改名。城下町として整備され、京都から北陸へと抜ける北国街道や隣接する琵琶湖の水運などを軸に交通の要衝として発展した場所だ。

戦国時代には信長に滅ぼされるまでは浅井氏がこの地を治めていて、その当時浅井家の家督を継いでいた浅井長政はお市と婚姻することで信長と同盟を結ぶも、後に浅井氏と旧来からの同盟関係にある朝倉氏と信長が敵対したことから両者の同盟との間で苦しめられ、ついには信長との同盟を破棄し、姉川の戦いで大敗したのをきっかけに滅亡の道をたどるエピソードは、信長ファンである自分にとっても胸の詰まらされる話だ。

江・浅井三姉妹博覧会のお知らせ

ちなみに2011年のNHK大河ドラマはその浅井長政とお市の残した浅井三姉妹の活躍する「江~姫たちの戦国」が放映されることになっている。

その他にも秀吉子飼いの家臣で関ヶ原で西軍を率いて敗れた悲運の武将・石田三成の生まれ故郷でもあるし、2006年のNHK大河ドラマ「功名が辻」の主人公となった千代の夫である山内一豊も後に秀吉からこの城を与えられて治めていたことがあり、ドラマでは何度も名前が登場するなど、戦国時代のファンにとっては切っても切り離せない数多くの有名なエピソードと史跡の残る歴史の街である。

大会前日まで

大会前日

坂本龍馬ゆかりの地・中書島駅

今回は滋賀県の長浜ということで、前日に京都に滞在して朝早くからJR琵琶湖線に乗って会場入りする予定であった。

私事だが今回は大会前々日の8日に京都に向かい、中書島駅近くにある取引先の会社を訪問したりもした。

中書島というのは京都伏見にある駅の一つで、近くにはこの年の大河ドラマで一大ブームとなった坂本龍馬が常宿にしていた寺田屋も近くにあり龍馬ゆかりの地の一つで1週間前に初めて行っていたのだが、この週末にも訪れていたのだった。

そして大会の前後はこれに関係する仕事の方が結構忙しくなっていたこともあり、前日の夜はなかなかそれが気になってか寝付けず仕事を頑張りつつ寝たのは1時過ぎであった。

大会当日

自宅から大会会場へ(京都駅から米原駅まで)

京都駅前駐輪場

そして大会当日の10月10日は5時半の起床となった。京都駅発の7時16分の電車に乗る必要があったためで、睡眠時間は4時間も寝られたかどうか微妙である。

起きてからはテレビでは皇室関連の番組で天皇杯の歴史を特集しているのを見ながらヒゲを剃り、朝ご飯は恒例のボンゴレビアンコのパスタだった。

今回は3キロに出場する友人と一緒に大会会場に向かう予定となっていて、友人の家に6時半の待ち合わせとなっていた。幸い近くの通りは車も少なく3分ほどで到着し遅れることはなかった。

京都駅ホーム

京都駅に着いたのは6時45分ぐらいで、駅前の駐輪場に自転車を預けるとすぐに切符買って改札を通り、予定の7時16分よりも早い6時55分がまだ乗れる状態だったので急いでホームを目指す。

正面改札から入ってエスカレーターで一度上がり、通路を通って2・3番口の階段を降りていくのだが、ここ最近は階段を下りる手前の辺りに鷹の爪団のポスターがずっと貼られており、それを眺めてニンマリしながらホームへと移動、奥の方に向かう。

それから先頭の方の車両に乗るためにホームの奥の方へと移動するが、問題なく時間に間に合ったこととこれからの電車旅がいつも仕事で行ったり来たりしている道のりだったこともあり余裕をかまして電車を待っていた。

米原行き電車車内

ところが列車が到着すると朝早いのに座席は結構埋まっていて、2人並んで座れる場所がなく4人席の所にしか座ることができない状態だった。

結局4席の席に一人で座っている若い男性がいてそこに対面で座ることになってしまったのだが、ただ次の山科駅で降りる人がいたため、何とか2人席を確保することができたのでそちらに移動、あとはゆったりとした電車の旅を楽しむことができたのであった。

今回はいつも名古屋~京都間を移動する際に頻繁に乗っている電車なので緊張感なく、琵琶湖線なのに琵琶湖は瀬田駅を過ぎた所で一度しかはっきり見ることはできないこととか、安土駅から見られる安土城址のこととか、駅についていろいろと薀蓄を話したりしていた。他にも山科駅近辺で深い霧がかかっていた景色が印象的だった。

米原駅ホーム

そして友人はまだ胃が起きていなかったみたいで電車旅の後半になってようやく朝ごはんのパンを食べる。タルタルソースのパンで自分もおすそ分けであんドーナツをもらった。

その後もいろいろと話をしているとあっという間に米原駅に到着する。

自宅から大会会場へ(米原駅から長浜駅まで)

米原駅構内

米原駅に到着し階段を上がって時刻表を確認すると長浜行きまではまだかなり時間あるのでトイレに寄るが、結構混んでいた。

自分は先に用を済ませ時代祭りのポスターの前で少し待ち、それから友人と合流して長浜行きの電車の来る5番ホームへと移動する。

5番ホームに着くとまだ時間はあったが電車はもう到着していて、人もかなり乗っていた。仕方なく立って待つことになるが、車内にはこの年大流行したNHK大河ドラマにあやかって龍馬関連のポスターも貼ってあったりする。

長浜行きの列車に乗り換え

その後おそらく7時16分発の琵琶湖線を降りたと思われる人が大量に乗ってきて電車内は通勤ラッシュ並の混雑になる。それでも列車発車直前に4人席がひとつ空いたので、友人だけは座ることができた。

一方電車の外に目を向けると外はもう雲がないぐらいに晴れていて、雨も嫌だがこれは逆に有難くないなと思わざるを得なかった。

自宅から大会会場へ(長浜駅から大会会場まで)

混雑する長浜駅ホーム

列車出発すると米原から長浜まではたった3駅ということもあり、結構あっという間に長浜駅に到着する。駅に到着するとホームからもう大会会場へと送迎してくれるシャトルバスが見えていた。

長浜駅は結構おしゃれな木のデザインで設計されていて、階段上がり改札通ると目の前にさっそく浅井三姉妹のポスターが見える。更にその横でマラソンののぼりを手にした案内のスタッフが立っていて右に行くように促していた。

それに従って列の流れに沿って右の出口に向かうとすぐ目の前にバス停が現われ、階段を下りると2箇所の乗り場があったが自分たちは奥の方に行く。

そして最初停まっていたバスに乗れるか微妙な状況だったが、残念ながらあと10人ぐらいの所で締め切られてしまう。それでも次のバスでは確実に座れるのでまあよしとして次を待つことに。

シャトルバス乗り場

この点今回の大会はバスも充分用意されていたし、なぜかバスガイドの女性もいたりで、かなりしっかりとした運営をしているのだなあという印象が最初から感じられた。

それからバスに乗り込み30分ぐらいのバスの旅になるが、途中バスガイドのアナウンスがあるも噛み噛みで思わず苦笑いだった。

それから「祇園歯科」という看板が見えて京都の祇園をパクったのかとビックリするが、どうやらそのあたりは祇園町という地名らしく別に真似した訳ではないようだった。

シャトルバスで大会会場へ

バスからの眺めは長浜駅周辺は大手のデパートやらレストランやらがあって賑やかだったが、少し経つと途端に田園風景に変わり、たくさんの田んぼがあってのどかだった。

途中あの織田信長と浅井長政が戦った姉川も通ったのが歴史ファンとしては嬉しい出来事だった。そしてようやくという感じで運動公園の看板が見えてくる。

大会受付

ハーフの部受付テント

バスを降りると目の前に受付のテントがあり、どうやらここが後で参加賞の引渡し場所になっていた所だったようなのだが、まずそこで友人がゼッケンを受け取ると記念撮影。

それから自分が奥のハーフ受付のテントに向かう。するとなぜか受付所の壁に自分のゼッケンがかけられていてビックリする。

ゼッケンを受け取ると周囲の写真も撮りつつ着替えをするために奥へと進む。するとB&Gという名前の建物があってそこが着替え場になっているらしく建物の前では大会パンフレットの配布も行っていた。パンフレットを受け取るとそこでいったん友人と別れて更衣室へと向かう。

男子更衣室のプール

そして男子はプールが着替え場所になっていたので、自分は入口を入って右の手前あたりで着替えをはじめた。

この日はまったく着替えをせずに会場にやってきていたので少し手間取るが、着替えている最中に開会式開始のアナウンスがあったので、結構慌ててゼッケンをつけて着替えを済ませる。

スタート前(開会式)

着替え場所となった長浜市浅井B&G海洋センター

それから荷物も持って外に出るが、友人は着替えに少し時間がかかっているのかなかなか現れない。

しばらくは待っていたのだが、そうしていると今回の特別ゲストのエリック・ワイナイナ選手も姿を見せたらしく挨拶しているのが聞こえてきた。

どうやら開会式は自分たちのいる着替えの場所から更に奥の方にあるグラウンドで行なわれているらしく、まだ時間かかりそうだったので自分は一足先にグラウンドに向かうことにした。

すると競技場内には大会関係者やマラソンランナーなど既にたくさんの人が集まっていて、開会式が賑やかな雰囲気の中で行なわれていた。

開会式の様子

そしてトラックを横切りステージの方へと近づいていくとちょうど壇上にはワイナイナ選手がいて、その横にはいかにもゆるキャラというマスコットキャラが2体立っていて会場を盛り上げていた。

格好からしてたぶん浅井長政とお市のゆるキャラだと思う。

3キロの部

3キロの部スタート前

簡易トイレ前の行列

ある程度競技場内での撮影を済ませると携帯で友人に電話、するとトイレ待ちをしているらしく再びB&Gの建物の方に戻る。

しかし姿を見つけることができず、時間も9時40分前と徐々にスタートも近づき混雑が予想されたので自分もトイレに並ぶことになるが、ちょうどその時再び電話かかってきてようやく合流を果たすことができたのだった。

この日は友人のスタートする3キロの部の方が10時スタートで先だったのだが、そのスタートの時刻も近づいてきていたので、友人は自分に荷物を預け先にグラウンドへ向かった。

スタート会場入り口

自分はその後トイレで用を足し、それから再びグラウンドへ。トイレは数もあり待ち時間もそんなになかったが、簡易トイレであまりきれいではなく荷物を置く場所がないのでその点だけは苦労した。

3キロの部スタート

3キロの部のランナーたち

再びグラウンドに戻るとトラック上にはたくさんのランナーたちが並んでいて、どうやらそれが3キロのランナーたちらしく、その後方に友人の姿を見つける。

それから写真撮影を少ししてあげ、出場のランナー以外はトラックから出るようにとのことだったのでトラックの外へ。

するとそこには再び例のゆるキャラ2体がいて、愛想を振舞っていたので自分も数枚写真撮影をした。撮影には友人から預かったキャノンの結構いいカメラを借りて代わりに撮影をする形になった。

それから競技場内の奥にある少し段差があって高くなっている芝生広場に上がり、そこからランナーたちを見下ろす形の体勢となったのだが、実はそこはトラックとちょうど反対側が競技場へ帰ってくる道に隣接しており戻ってくるランナーたちも見ることができるようになっていたため、スタート後のみならずゴールと両方を撮影することのできる絶好のスポットとなっていた。

ゆるキャラたちと記念撮影

その場に落ち着くと自分のスタートまでも時間そんなにある訳ではないのでバナナを1本食べ、3キロの部のスタートに備える。

そしてようやく10時になり緊張の中で3キロの部がスタートする。

写真も何とか撮影はしたのだが、トラックを1周する訳ではなくランナーたちは自分とは反対方向の出入り口の方から競技場の外に出てしまったので、スタート直後は真正面からの撮影はできなかった。

ゴール(ワイナイナ選手の登場)

ゴールに向かって走るランナーたち

その後2キロの部も同時スタートだったので、10分もしないうちに早くもトップのランナーがトラックに帰ってくる。

更にもうしばらくして自分の待機している芝生広場から外の通りをチェックしていると、黒人選手のランナーがこちらに向かって走ってくる姿を捉える。思った通りワイナイナ選手だった。

この点まだ3キロの部に出場している友人の到着まではかなり時間あるはずなのでここはワイナイナに注目する。

ファンの声援に応えるワイナイナ選手

そしてトラックに戻ってきてゴールし、ゴール後に一般のランナーたちと握手や記念撮影する所までバッチリ撮影できた。

それから自分の出場するハーフのスタート時間も押してきていたのでヴァームゼリーは先に飲んでおく。

ゴール(友人のゴール)

次々とゴールする3キロのランナーたち

そしてこの前の京都チャリティファンランでの撮影の失敗もあったので、慎重に15分が過ぎたぐらいから外の通りをチェックしていると、友人が走ってくるのがバッチリ見えてきた。

無事見つけることが出来ホッとしつつも撮影を開始する。

ところが帽子を風に飛ばされてしまい見ているこっちもヒヤヒヤ、そのシーンも含めてトラックに戻ってきてゴールするところまで、今回はバッチリ撮影できたのだった。

スタート時間が近づき集合するハーフのランナーたち

ゴールすると芝生広場を降りトラックに駆け寄る。

そして完走を労いペットボトルのヴァームを渡して少し話をした後、ハーフのスタート時間もすぐだったので、荷物を託して競技場右奥で並んで待っているハーフのランナーたちの列の方へと急いだ。

ハーフマラソンの部

スタート前(ワイナイナ選手再登場)

移動中のランナーたち

3キロの部のスタート前に係員のおじさんにハーフのスタートについても聞いていたので、トラックでの集合後に歩いて競技場を出てスタート地点への移動が始まる。

ところがその途中ワイナイナ選手に早く来るようにと呼びかける場内アナウンスが聞こえてくる。どうやらかなりファンサービスに没頭していたようで、何とも微笑ましい出来事だった。

それからワイナイナ選手は自分たちとは別のゴールするランナーたちが通る出入口の方から係員と一緒に出ていってしまったため、いったんは姿が見えなくなってしまう。

握手攻めに遭うワイナイナ選手

ところがこのあたりからどうも天候が怪しくポツポツと雨が降ってきていたのだが、しばらく歩いていると再びワイナイナ選手が自分たちの目の前に姿を現してくれたのだった。

するとハーフの部のランナーの握手攻めに会うがそれにも笑顔で丁寧に応えてくれ、しばらくすると多分スターターを務めるのだと思うが足取り軽く走り去っていった。

ちょうどスタートまであと5分ぐらい、10時25分過ぎのことであった。

スタート前(突然の雨)

スタート直前

それからすぐスタートまであと5分を切っていよいよという時に、突然雨が激しくなる。すさまじいスコールと言ってもいいぐらいの激しい雨でさすがにこれは予期していなかったのでビックリだった。

その後もゆっくりとランナーたちは前へと進んでいき、いったいいつ始まるんだという感じでいつもは絶対こんなことはないのだが、スタート地点もよく分からない有様だった。

自分は靴紐を結び直しつつ歩いていたのだが、それからほどなくして3分前、2分前のアナウンスが聞こえておもむろに止まったかと思うと、やがてピストルの合図が遠方から聞こえてくる。何とか無事にスタートの合図は聞き逃さなかったようだった。

スタート~レース序盤(スタート地点が…)

雨の中スタート

最初はややゆっくり目のペースで集団の流れに合わせて動いていくといった感じだった。道幅を考えると無理する必要もないし、大会史上前例のない過去最多の出場人数ということもあって窮屈というほどではなかったが、それでも抜くのは不可能に近かった。

そして少し走ってからようやくランナーズチップの計測をしていると思われるマットのような所を通過する。はっきりと覚えていないがスタートしてから3分3秒後ぐらいだったと記憶している。ただ結局スタート地点が正確にどこだったのか、今回の大会はついに分からずじまいだった。

印象としてはその後トラック競技場の周囲を2周した感じで、お市の方の絵が描かれた看板のある所を2回通ったのはよく覚えている。

序盤は慎重な走り

実は今回コースをきちんと把握してなかったこともあり、その後ひょっとしてこれは周回コースなのか…そう思いかけた時に次の曲がり角で1周目と反対に左側に折れたので、そこからようやく違うコースになるのだと分かった。

あとから地図をちゃんとチェックしてみると、浅井文化スポーツ公園のすぐ東に草野川という川が流れていて、基本的には川沿いをずっと走って折り返すのだが、最初乗倉橋という橋から飯山橋という橋までは余分にぐるっと1周走っていることが分かった。

飯山橋を渡って対岸に出るとまた競技場のある南の方に行き乗倉橋まで戻るとそこで橋を渡って元の岸に戻り、それから再び北上し再び飯山橋を渡るのだが、そこで今度は右に曲がって南に戻るのではなく、左に曲がって川沿いを北へ進んでいくという流れだった。

長い直線道へ

そして川沿いをずっと北上して途中でハーフの中間地点を迎え、さらに北上して高山橋という橋でようやく左折して橋を渡り、渡り切ると今度はまた左折して、あとは競技場までずっと川沿いを南に走っていくというコースになっていた。

今回は距離表示については事前の確認で5キロ単位しかない事は知っていたが、久しぶりのハーフということもあってペースどおりに走れているのか分からず少なからず不安であった。それでも一応自分としては少し控え目のペースで走ったつもりだったのだが、これが後から考えると大いに裏目に出た。

徐々に天候が回復

その後競技場の周りを2周し草野川を北上しはじめた頃にはもう雨もほぼ上がっていて、逆に空は結構明るくなってきていた。

後で地図を確認してみるとそれから1度目の給水があり、しばらくして一度飯山橋という橋を渡って南へと方向を変えているはずなのだが、正直細かい点についてはよく覚えていない。

正確に覚えているのは距離表示だけだ。今回は距離表示のある場所はすべて携帯カメラで写真を撮っておいたので、通過時間ははっきりと記録されている。

レース中盤(折り返し地点まで)

5キロ地点を通過

それからまず最初の5km地点の表示が見えてきたのだが、写真の撮影時間によると5kmの通過時間は10時58分30秒だった。

計算上28分ぐらいかかったことになるが、最初のスタートラインまでのマイナスタイムが3分3秒ぐらいあるはずなので、ネットタイムとしては25分30秒ぐらいで1キロ5分ちょっとというかなりいいペースで走っていたと考えていいであろう。調子は絶好調とまではいえないが、決して悪い方ではなかった。

その後4~5分走って11時をちょっと回ったぐらいの時間(11時2分)に、川岸にコスモスの花がきれいに咲いているのが目に飛び込んでくる。

川岸に咲くコスモス

正直5km地点がどこなのかパンフレットの地図にはっきり書いていないので分からないのだが、ネットで検索すると「乗倉橋北側付近の、草野川堤防の県道を「コスモス街道」と名付けて、秋に花が咲き誇るようにしたり…」とあるので、多分飯山橋を渡って川沿いを南下して乗倉橋を渡る少し前に5km地点があり、橋を渡って再び川を北上した時にこのコスモスを見たのではないかという結論である。

ちなみに給水についても走っていた時の事は今となってはよく覚えていないのだが、ランネットで調べてみると3.1km、6.7km、10.7km、15.3km、19.1kmに用意されていて、パンフレットの給水マークが乗倉橋と飯山橋の真ん中よりちょっと北側に1つあり、これが3.1km地点と6.7km地点の給水であろうから、その位置関係とも整合性が取れる。

最初の給水

その後11時7分に6.7km地点の給水に到着しており、その給水だが今回は水だけしかなかったと記憶しているが、充分な分用意されていてまったくストレスなく水分補給と帽子や体にもしっかり水をかけることができたので不満はなかった。

ただ確かこの6.7km地点だと思うのだが、一人給水所で他のランナーを突き飛ばすような勢いで飛び込んでくる輩がいた。

あれはどう考えてもハーフの人間ではなく(ハーフの速いランナーはとっくに先を行っているはずなので)、11時スタートの10kmの先頭集団だと思うのだが、はっきり行って危険極まりない見ていてとても冷や冷やする光景だった。

タイムを意識するのは分かるけれども、あんな勢いでいきなり後ろから飛び込んで来られては周りのランナーもまったく気が付かないであろうからお互い大怪我の元である。

天候は回復し日差しも見えてくるように

たまたま給水のタイミングが重なってしまったあのであろうが、自分さえよければ周りはどうなってもいいという考え方は困ったものだ。

そして給水から10分後の11時16分頃撮影した写真ではすでに川が左側に見えているので、飯山橋を渡って東側の岸を北上しはじめていたのだと思う。この頃にはまだ雲はチラホラ見えるものの日差しも差し始めて、若干暑いぐらいであった。

更に東岸に出ると急に道に沿う形で民家が目立ちはじめ、住民の方の応援も結構目につくようになってくる。

10キロの部の中間地点の表示

それからこの頃から徐々にコースは緩やかな登り坂に入るが、ここ最近で嫌というほど登りの多いレースばかりに出場していた自分にとってはそんなにしんどくなかった。

その後も頑張って走っていると11時23分過ぎに10km走の中間地点の表示が目に飛び込んでくる。

それを境にして10kmの部のランナーたちは左を、ハーフの部のランナーたちは道路の右側を走るように注意を促す表示板と大会スタッフの声が聞こえてくる。

10キロ地点

これは後から地図をチェックしてみるとこのすぐ先の鍛冶屋橋という橋で10kmの部のランナーたちは左折して橋を渡り競技場へ戻ることになっていたらしく、ハーフの部のランナーたちは引き続き北へ北へと進むことになっていたのだった。

その後おそらくこの鍛冶屋橋を過ぎてからだと思うのだが、11時27分過ぎに10kmの表示の前を通過している。写真で見ると表示のすぐ横に郵便局が見えているのだが、10kmを約57分ぐらいということで、ネットタイムでは54分前後であるが、登り坂が続いていたこともあったとはいえ5km地点からの5キロが29分ぐらいかかっており、あまりいい走りではなかった。

2度目の給水

そしてそれから約5分後の11時32分に10.7kmの給水所に到達している。まだまだ上り坂が続いている上に日差しもきつかったり雲に隠れたりと一定せずそれが体に堪えて厳しかったが、きっちり水分補給だけは怠らないようにした。

ちなみにこの給水所のすぐ前にハーフの中間地点もあったはずだが、ここだけは写真を撮ることができず後からも確認できなかった。

更にこの頃から道の左側の川沿いには民家が立ち並び右側は林というか森というか緑が多くなってきていたのだが、この辺りからの住民の方々の応援は特筆すべきものがあった。

民家からの声援が力に

家族一家総出であったり、あるいは3世帯勢揃いだったり、あるいは高齢のおばあちゃんが一人でだったり、それはいろいろな形であったが、皆さんが熱心に温かい応援と拍手を送ってくださり、それが何度も何度も続いたので非常に心が温まった。

これまでも何度もマラソン大会に出場してきているが、ここまで応援で感動したのは初めてだったかもしれない。

応援が熱心過ぎて応えるランナーの方も大変だったが、気持ちよく走れたし坂が多くきついこの近辺を力を頂いて走り切ることができたので感謝したい気持ちでいっぱいだ。

レース中盤(折り返し地点後)

降り返しの高山橋

そんな地元の方々の心に染み渡るぐらいの温かい応援を頂いた効果もあってかなり頑張って走り続け、11時45分頃ついに折り返しの高山橋に到達した。

そして橋を渡り切るとここからは川の反対岸を競技場に向かってずっと南下していくことになる訳だが、ここまで緩やかではあるもののずっと登ってきたのを逆に戻るのであるから、残りは当然ずっと緩やかな下り坂が続いていくことになる。

レース後半は下り坂

それもあってここからグンとスピードも上がり、個人的にはいい感触で折り返しをすることができた。

ちなみにこの後も地元の住民の方々の熱心な沿道の応援は15kmの少し前ぐらいまで続き、声援がかなり力になった。

レース後半~ゴール

15キロ地点

その後ようやく15km地点を通った時には時刻は11時57分を過ぎていた。

この5kmはちょうど30分ぐらいで1キロ6分と振るわないタイムだったようだ。

そんな事はない、距離が間違っているのでは…と当初は思ったのだが、どうやら今回は5キロ毎の表示でブレーキを怖がるあまりいいリズムを作れなかったのかもしれない。改めて5km表示のレースの難しさを思い知らされた。

12時4分過ぎにはついに残り5kmの表示が見えてきたのだが、10時半スタートなので、これは残り5kmを26分で走ってようやく2時間ちょうどというペースだ。

残り3キロ地点

もちろんネットタイムの3分ぐらいのロスタイムがあるのだが、それを差し引いても1時間57分ぐらいで平凡極まりないタイムだった。

感覚的にはもうちょっと早い、1時間50分台前半かもしくは40分台に入れるのではという感触だった自分にはこれがかなりショックで、その後急にペースが上がらなくなる。

じりじりと後続のランナーにも抜かれはじめ、更にはそれが更にダメージとなって背筋や腰にも違和感を感じ始める。

12時10分過ぎに残り4kmの表示の前を通り過ぎ、12時16分過ぎに残り3kmの表示を通過。もうこうなると2時間を切ることも不可能であることを悟り、更にこの辺りは沿道の応援もまったくなくなっていて、走っているのがただきついだけになっていた。

20キロ地点

更に3kmを切ったあたりで追い打ちをかけるように突然雲行きが怪しくなり、12時22分頃に残り2kmの表示を通過したあたりであろうか、一気に空から大粒の雨が降り出し、ただでさえ疲れて切っている体を急激に冷やした。

これでより一層腰や背筋の痛みがひどくなり、頑張る気力をすべて吸い取られてしまった。それにしても雨、曇り、晴れ、曇り、雨とめまぐるしく天候の変わるレースであった。

そして11時28分過ぎに20kmの表示の前を通過する。そこは一面コスモスが咲いていてきれいだったのだが、目を癒す余裕はなかった。

ゴール直前また雨が…

更にこの辺りで突然救急車の音が鳴って、前方で一度止まる。たぶんランナーの一人に異常事態が発生したのであろうが、詳細は分からなかった。

その直後の11時29分にあと1kmの表示を通過。ここもまだコスモス畑が続いていた。それからはあざいお市マラソンの旗がちらつく道を懸命に歩を進めると、やっと競技場が見えてくる。

そしてグダグダの最後となりながらも競技場の中へ入り、トラックの直線をフラフラになりながら走りゴームを迎えたのだが、タイムは2時間6分36秒と、あの最後の上り坂で地獄を見た宇治川マラソンの2時間をわずかに切るタイムよりも、6月の猛暑の中フラフラになりながら走った京都チャリティ・ファンランの2時間1分も遥かに上回る、過去最低の成績に終わってしまった。

無念の過去ワーストタイムでゴール

正直今回は緩やかな坂が少しはあったもののそれ以外はいたって平坦なコースだ。

なぜこんなに悪い成績だったのか未だに納得いかないのだが、これが現実なのだから仕方があるまい。

レース後

ゴール直後

完走証引き渡し所のテント

何とかゴールすると数十メートルほど歩いたトラックの上あたりで友人と合流する。

ゴール直前の通り雨で避難していたらしいのだが、幸か不幸か自分がゴールする時間が大幅に遅くなりその間に雨が上がったためゴールラインを通過するまでの撮影もちゃんとしてくれていたようだった。

それから完走したランナーに配られるポカリスエット500mlを受け取り、完走証発行所のテントで完走証を受け取ると、荷物を重かったのと雨が降っていたこともあり更衣室に置いてきたらしくすぐに戻ることとなった。

更衣室に向かう

ところが更衣室のあるB&Gの建物まで戻る途中、疲れで歩けないで遅い足取りでいると友人とはぐれてしまう。参加賞もらいに行っていると思い一度はそちらに向かうが、そこにもいなかったので結局携帯電話で電話し無事合流できた。

そしてその頃はもう雨はすっかり止んでいたが、風がかなり強くテントが揺れてテントの屋根に溜まっていた雨がザッと落ちてきて人にかかる光景を目撃するなど荒れ模様の天気はまだ続いていた。

それから再びB&Gの建物に戻り着替えることになり、入口から建物の中に入りそちらからプールへと向かう。レース前の着替えの時と入る場所も違うので迷ったが、親切なおじさんがいて扉開けてくれたので事なきを得た。

パトカーが停車しているのを目撃

プールに着くと一番奥の所まで移動して着替えることとなる。そこまで到着するとホッとしたこともあってかどっと疲れが出てぐったりとなったが、苦労しながらも何とか着替えた。

その途中でワイナイナ選手のサイン会のアナウンスも聴こえたのだが、さすがに疲れもあって断念せざるを得なかった。

着替えを終えるといったん食べ物屋のあるテントの方へ向かおうとするが、参加賞とお米をもらっていなかったのを思い出しもらいに行くことになる。

参加賞の受取所

その途中B&Gの建物の前にパトカーが停まっているのが目についた。

何かあったのだろうことは想像に難くなかったのだが、後からネットの大会レビューを見た所どうやら盗難事件が発生していたらしく、荷物置き場になっていた体育館に置いてあったランナーの方のバッグがナイフで切り裂かれるという悪質な行為があったらしい。

こういう事はこれまで参加した大会では一度もなかったので残念だが、こういう事件があった以上は大会関係者の方には来年は何らかの対策をお願いしたい所であるし、自分自身も荷物預り所のない大会では今後は十分気をつけなくてはいけないと感じざるを得なかった。

食べ物コーナー

引渡し所へ着くと結構な行列ができていて、友人と自分は隣同士の列に並ぶ。

ところが友人の列の方が圧倒的に早かったので、持っている券を渡して自分の分も友人に受け取ってもらった。結局5人分ぐらい自分の並んだ列は進み具合が遅かった。

今回の参加賞は非常に豪華で、おなじみのTシャツの他、手ぬぐいと地元のお米ブランドであるお市米の新米1.5キロも頂くことができた。ちなみにお米は引換券と交換で更に別のテントで受け取った。

それから交換で受け取った米を引換券と近くにあった椅子に置いて記念撮影していると突然強風が来てテントが倒れそうになるアクシデントが発生。

うどん2人前

昼過ぎからはとにかく風が強かったのだが、何とか倒れないように脚の1つを支えていたが危うく大惨事になるぐらいの崩れ方だった。

その後グラウンドの方に引き返すと長浜駅などの各駅へと送迎してくれるシャトルバスがたくさん並んでいてそのまま長浜駅に帰るかどうか迷うが、せっかくこういうイベントに参加している訳であるし昼の12時はとっくに過ぎお腹も空いていたので何か食べていくことになる。

長浜駅へ向かう帰りの送迎バス

食べ物を売っているテントは「希望の塔」というモニュメントのある広場にいくつか設置されていて、唐揚げなどもあったのだが、うどん300円を2人分注文する。体も温まりダシも薄味でかなり美味しくぺロッと食べてしまった。

ビールも何だか無性に飲みたかったのだが、この日はタイムも満足な結果が残せなかったこともあり勝利の美酒とはとてもいえなかったので我慢した。

そしてここでも風が強く吹き荒れ、隣接するお土産コーナーなどのテントもかなり揺れていたのが印象に残っている。

長浜城歴史博物館を見学

長浜駅から長浜城歴史博物館へ

それから疲れもあってそれ以上は食べられず、14時前に長浜駅行きのシャトルバスに乗車する。確か帰りもバスガイドの方がいて案内をしてくれたと記憶している。

行きより早く20分ぐらいで長浜駅の近くまで戻ってくたのだが、途中あと1キロを切ったあたりで城のような建物が目に飛び込んでくる。

長浜城がこんな近くにあるのか…全然チェックしていなかったので少し驚いたのだが、駅からも割と近かったので駅到着後、階段を上がり改札近くの京都行きの時刻表を調べてから行くことになる。ちなみに駅2階の通路からもお城が見えた。

長浜城歴史博物館そばの公園より

実はその建物、城ではなく長浜城歴史博物館という名前らしいのだが、駅を西へ少し進み道路を横断して公園のような木陰の下を通っていくと立派な石垣が見えてくる。

とても雰囲気があって良かったのだが、ここでアクシデントが発生。友人の鞄の手提げの部分がズボンのお尻のポケットのファスナーにひっかかってしまったのだ。

完全に嵌まってしまっていて外すのに苦労するが、何とかボールペン使って抑えて隙間を作ってと奮闘していると見事に外すことに成功して事なきを得る。

まるでお城のような長浜城歴史博物館の建物

それから友人は写真撮影なども本格化するが、自分は携帯電話の電池がなくなりそうなっていたので自重しながらの撮影となった。

その後石段を上がって近くからも建物を撮影し、それから資料館の中にも入ることにする。料金は400円だった。

受付で前の客が少し時間かかるも何とか入場券を購入し、お土産も戦国武将の島左近をモチーフにした「しまさこにゃん」や石田三成をモチーフにした「いしだみつにゃん」などたくさんのグッズもあったがとりあえず我慢した。

この博物館は2階と3階が資料室で5階が展望台になっているらしく、まず2階にエレベーターで向かう。その際エレベーターのすぐ横にスタンプあったので押していく。

長浜城歴史博物館受付

2階に到着しエレベーター出る時にチケットを落としそうになるアクシデントも発生するが、無事回収し資料室の中へ。見学の前に喉が乾いていたので、いったん階段まで出て友人が持参のめぐり茶飲んでブレイクした。

それから満を持して見学を開始するが、歴史資料がたくさんでかなり面白かった。

長浜といえば浅井氏の治めていた場所であると同時に豊臣秀吉が最初に城持ち大名になった場所でもあり、ゆかりの場所ということで資料が多かった。

2階と3階の資料室を見学

その中でも1575年に織田信長と武田勝頼が対決し信長軍が鉄砲三段撃ちで勝利し武田軍に大打撃を与えたことで有名な長篠の戦の合戦図屏風の模写があり、これは以前から一度は見ておきたかったので大満足だった。

他に関ヶ原の合戦図や秀吉とその正室おね、更には浅井長政の合成声が聴けるコーナーなどもあったのが印象的だった。満足な見学となったが、ただ2・3階は撮影禁止になっていたのに堂々と撮影している人間がいて唖然、ちょっと憤慨させられる。

次に3階に上がるが、まず入口に賤ヶ岳の戦いの合戦図屏風が。それから長浜の歴史のビデオとか火縄銃も展示されていた。

5階展望台へ

その他にも関ヶ原の戦いの石田三成の陣から見た風景図などは結構インパクトあって興味深かった。

それらを見終わるといよいよ5階の展望台に続く階段を上っていく。

5階に到着するとすぐ目の前に建物の外の光景が見えてきたのだが、これがまさに絶景……西側には琵琶湖が一面に広がりしかもそれがかなり近い位置で、暮れかけていた太陽が湖面に反射して何ともいえない美しい光景だった。

琵琶湖を見下ろす絶景

反対の東側には伊吹山も見えこの年の8月末に走ったかっとび伊吹を思い出させてくれて懐かしい気分にもなった。

そして他にも歴史の舞台となったいろいろな場所が見られて、それが「戦国合戦パノラマの世界」という名前の地図できちんと整理されているので大変参考になる。

その後建物の中で少し休憩することとなり、携帯電話や手荷物の整理もしたのだが、家から持ってきたバナナがつぶれかけていて危ないことになっていた。そのバナナはおやつ代わりに友人と1本ずつ食べることえ処理できた。

記念メダル販売機

それからその日の日付と自分の名前を刻印できる記念硬貨を300円でゲットし記念撮影も済ませると、時刻は15時40分を過ぎていて16時29分発の電車に乗るのにちょうどいい時間になってきたので展望台を後にする。

途中1階のトイレに立ち寄り、少しおみやげコーナーもチェックしたのだが、5階の展望台で記念硬貨を入手していたので結局何も購入することはなく外へ出た。

帰路

長浜駅改札口

ところが博物館の外に出るとまたアクシデントが発生する。再び友人のバッグの手提げ部分がズボンポケットのファスナーにひっかかってしまったのだ。

しかも今度は上着のレースも挟まって大変な事態になり、何とか取ろうとするがガッチリ嵌まっていてしかもレースまで挟まっているのでお手上げだった。

仕方なくとりあえずそのまま駅まで戻ることとなり、駅に着くと切符を購入し改札を通ってホームへ。それからホームのベンチに腰掛けてバッグをズボンのファスナーから外す作業頑張るが、これがなかなか上手くいかなかった。

大幅にダイヤが乱れる

ところがここで16時29分発の列車が人身事故で遅れるというアナウンスが流れる。

しかも列車がそのまま京都まで乗り換えせずに行けるはずだったのがなぜか米原止まりになったので、改札で駅員にどうなっているかを確認した上で17時6分発の列車に乗ることになってしまったのだった。

17時6分発の発車する4番ホームに移動すると既に列車が停まっていたので乗車し座ることができたのだが、出発まではまだかなり時間があったので友人はトイレでズボン着替えることになる。

自分はその間列車の中で荷物の番をしながら待っていたのだが、すると友人がほどなくして戻ってきて着替えている最中に勝手に外れたらしく、あっけない解決ではあったが自分もホッとしたのだった。

車窓から見える夕焼け

その後、出発の時間まで少し待っていると今度は時間どおりに電車が出発。

ちなみに出発の際には自分の前に座っていた男性がゴミでも捨てようとしたのか、外に出た瞬間に扉が閉まり危うく置いていかれそうになるアクシデントもあったが何とか無事に乗車できた。

列車が出発すると夕日がきれいで写真撮ったり友人と少し話もしたりしたが、疲れもありウトウトしている時間が長かった。気がつくと空はもうすっかり日が暮れて暗くなってしまっていた。

京都駅に到着

19時過ぎにようやく京都駅に到着し、自転車置き場で自転車を回収して帰路に着く。

その途中に友人の家で荷物を置いてから近くのスーパーフレスコ買い物、焼肉用の食材を買い、キムチを買うのを忘れていたので2度買いしてから店を後にする。

晩御飯は友人と焼肉で国産牛モモと豚トロの他に牛肉たたきも用意した。野菜類はキムチと雪国野菜革命、それにもやしなどを準備したが、どれも美味く最高でビールもご飯も進んだ。

パンフレット各種

ご飯を食べつつ大河ドラマの龍馬伝などのテレビ番組を鑑賞していたが、風呂に入ると疲れも相当あったのでここでお開きとなり、友人を家まで送ってから帰宅する。

その後晩酌にビール2本と晩御飯の残り、それに雪見大福も食べたが、疲れもあり1時過ぎには床に就いた。

後日談

参加賞のお市米

今回のレースはタイム的には過去ワーストとなってしまうなどあまりいいレースではなかったが、沿道の応援や大会運営の熱意、そして今回ゲストランナーだったワイナイナ選手の気さくな人柄もあって実に楽しく参加することができた。

お市米も後日しっかり頂いたが、なかなかに美味しく米好きの自分にとっては嬉しい参加賞だった。ちなみに普段はよく近江米も食べているが、お市米と関係はあるのだろうか。

家からもそんなに遠くないし交通の便も良いので、来年もぜひ参加しリベンジしたいと思っている。

そして次のレースは西宮国際ハーフマラソンだが、出場するのは10キロの部のためさほど大変ではないと思うが、今回のタイムがタイムだっただけにまずはここでいいタイムを出して自信を取り戻したいと思う。

炊き上がったお市米

ちなみに兵庫県のレースは初めてであるし、阪神甲子園球場は確か小学校5年生の時に高校野球を見に行って以来で20年以上ぶりの訪問である。

ほとんどその時のことは覚えていないので、スタート時しかいられないが雰囲気だけでも楽しんできたいと思う。

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