マラソン

大会結果レポート(第11回谷川真理ハーフマラソン)

大会データ

Runnet

日時
2010/1/10(日) 10時15分(スタート)
場所
東京都北区赤羽3-29先
荒川河川敷(新荒川大橋野球場スタート&ゴール~北千住近辺折り返し)
21.0975km(ハーフマラソン)Bコース
主催
谷川真理ハーフマラソン実行委員会
後援
北区教育委員会、難民を助ける会、スポーツニッポン、イベント託児、アミノバイタルAC
協賛
アミノバイタル、ナイキ、ストロングス、東京祭展、JAL、フォトクリエイト
天候
快晴
記録
グロス:1時間48分30秒(完走)
ネット:1時間47分30秒(自己計測・自己新記録更新)
関連リンク
谷川真理公式サイト
TBS「3年B組金八先生」
猫ひろしドットコム
KICHIRI 恵比寿
自分仕立てラーメン 康竜
新宿中村屋 本店ラコンテ
JR東日本:駅構内図(赤羽駅)

大会前

東京都とは

今回の大会開催地は東京都北区。東京都についてはあえて説明する必要もないであろうが関東地方に位置する日本の首都であり、人口約1298万人(2010年現在)の大都市である。

立法・行政・司法の三権の中心で政治および経済の中心であり、アメリカのニューヨークやイギリスのロンドン、そしてフランスのパリなどとともに世界的に見ても大きな都市だ。

東京23区と多摩地域がその中心を構成するが、それ以外に伊豆諸島・小笠原諸島も管轄に入っている。旧国名では武蔵の一部と下総・伊豆のごく一部を合わせた地域で江戸時代からは江戸と呼ばれもちろん江戸幕府の本拠が置かれていた。

戦国時代に扇ヶ谷上杉氏の家臣であった太田道灌によって江戸城が建てられ、その後はずっと相模の後北条氏の支配下に置かれたが、1590年に豊臣秀吉によって北条氏が滅ぼされると徳川家康に与えられ、以後は家康の本拠地として急速な整備がなされて発展する。

1603年に江戸幕府が開かれると政治・経済の中心都市となり、18世紀初頭には人口100万人を突破する大都市になった。これは当時世界的に見ても非常に大きな都市だったという。

幕末、1867年に徳川慶喜による大政奉還を経て1868年に江戸幕府は崩壊するが、江戸無血開城がなされたために戦火は免れる。

その後は明治新政府の本拠地として東京と改められ、更に翌1869年に明治天皇が江戸城に入城し新たに皇居となったことから、事実上この時に日本の首都となり、現在に至っている。

現代においては国会議事堂や各省庁、最高裁判所など国家の主要機能が置かれている他、数多くの企業が本社を東京に置いているため経済の中心となっており、金融・保険や出版・マスコミなども大半が東京に本社を置いている。

また東京湾を有するため京浜工業地帯の中心として数多くの工場が集中している他、伊豆・八丈島を中心に水産業も盛んで、江戸前の海で採れる水産物は築地市場に運ばれて大変な活気を有している。

東京都北区そして荒川について

赤羽駅

そんな東京の23区の一つである北区は、名前の通り23区の北側にあり北は埼玉県に面する。人口は約33万人で荒川区、足立区、板橋区、豊島区、文京区に面し、荒川と隅田川が区内を流れている。

今回の大会会場に近いJR赤羽駅はそんな北区の商業の中心地で駅前の商店街は大変な賑わいを見せる一方で、埼京線・京浜東北線・宇都宮線・高崎線への分岐点となっておりさいたま市や川口市などの埼玉県から東京都心へ移動する際のターミナル駅として乗り換え客が非常に多いなど交通の要衝としても知られている。

それから今回の大会会場である荒川についても解説しておこう。荒川は甲斐・武蔵・信濃に接する甲武信ヶ岳を源に埼玉県、東京都を通って東京湾へと流れる川で、埼玉県吉見町付近で川幅が2.5kmにもなることから、「川幅日本一の川」としても知られている。

荒川

歴史的には名前の通り洪水や水害の多い大変な暴れ川で、川筋も頻繁に変わり治世者を悩ませていたらしいが、20世紀初頭に荒川放水路が計画され完成後は大きな水害はほとんどなくなったという。ちなみにこの時作られた放水路が現在の荒川の本流で、水門から分岐する旧荒川は1965年に新たに「隅田川」とされたのだそうだ。

近年では武田鉄矢主演で1979年から放映された人気ドラマ「3年B組金八先生」のオープニングで金八先生が「3年B組!」と叫び、その後生徒たちが「金八先生!」と叫びながら先生の周囲に駆け寄り、全員で河川敷を歩いていく有名なシーンがあるのだが、その撮影にこの荒川が使われていることで有名らしい。

谷川真理さんについて

谷川真理さんについても簡単にまとめておくと、福岡県出身の女性マラソン選手で、高校時代は陸上部に所属。高校卒業後都内の一般企業でOLとして働いていた時に皇居を走る市民ランナーを見て自分も走り始め、市民ンマラソンでの優勝を機に注目を浴び1990年資生堂に入社し実業団選手に。

以後は着実に実績を積み、1991年東京国際女子マラソンで初優勝、1992年ゴールドコーストマラソン、1994年パリマラソンなどでも優勝している。ただオリンピックには縁がなく1992年バルセロナでは補欠代表、1996年アトランタではケガに泣かされる。

その後も現役選手として活躍を続けて現在に至り、並行してタレント活動も行い、特に毎年春と秋に放映されるTBS系列の「オールスター感謝祭」の中の赤坂5丁目ミニマラソンの企画にはほぼ毎回出走してすっかり常連となっていることで有名だ。

そしてマラソンやランニングの普及活動にも力を入れており、全国の市民マラソンにゲストランナーとして数多く招待される他、今回出場する「谷川真理ハーフマラソン」では主催者も務めている。

ちなみに「谷川真理ハーフマラソン」は地雷撤廃をテーマに、大きな愛の輪を広げたいという願いを込めたチャリティ・マラソン大会でもあるが、毎回出場者が1万人を超える人気大会で、芸能人なども多く出場しているそうだ。

大会前

はじめに

JR名古屋駅時刻表

今回の大会は2010年最初の大会となった。

昨年の3月に初めてマラソン大会に参加し、それ以外いくつかの大会に参加させて頂いたが、2010年は更に数多くの大会に挑戦し、自己記録を伸ばすとともに一つでも多くの都道府県を訪問し目標である全国制覇に一歩でも近づければと思う。

そして今回は東京での開催ということだが、東京については私は高校卒業後から大学生活4年間も含め1993年から1999年までの計6年ほど生活していた経験があり、非常に馴染みのある場所だ。

新幹線に乗車

ただ1999年に実家のある名古屋に戻ってからは年に1回行くかいかないかという状態が続き、2001年を境にしばらくは遠ざかっていた。

そして2008年とこの前年である2009年の2月に仕事の都合で久しぶりに東京に行ったのだが、この時はともに日帰りでほとんどゆっくりすることもできなかった。

上記のような経緯もあり、今回マラソン大会に参加するついでといっては何だが、大学時代の友人と再会したり、大学時代に生活した町を再び訪れたり、仕事で人と会う機会を作ったり、といろいろと予定を立てて数日関東遠征を行う事になっていた。

1月7日木曜日、東京へ

JR東京駅到着

東京に向かったのは1月7日木曜日のことだった。この日16時まで付き合いのある会社で作業をしてから名古屋駅に向かい16時20分に新幹線に乗車。当日は米原で雪のため6分の遅れが出ていたが、大事には至らなかった。

新幹線の車内では久しぶりの東京行きに若干興奮を隠せないでいたが、家から持参したおにぎりとゆで卵とコアラのマーチ、それにレモンウォターで腹ごしらえをしつつのんびりと過ごしていた。

池袋駅前

18時過ぎに東京駅に到着しそのまま中央線を使って新宿まで行き、山手線に乗り換えて池袋まで行く。池袋に親戚の一人が住んでおり、東京にいる間宿泊させてもらう事になっていた。

池袋で出迎えを受け、それから駅近くのそば屋でそばをご馳走になってから、道順や近くにある店などいろいろと説明を受けつつ部屋まで到着。近所のスーパーで少し買い物をして、友人に電話で話をしてからその日は休んだ。

1月8日金曜日、大学生活を偲んで(高田馬場編)

都電荒川線

翌1月8日金曜日は結構朝早くに目が覚めた。朝はツナサンドとランチパックそれにサラダで朝食を取った後シャワーを借り、それから10時ぐらいに部屋を出た。

この日の最初の目的地は高田馬場そして東中野だった。大学時代に部屋を借りて住んでいたのがこの2つの町だったのだが、どちらも大学を卒業してからは一度も行っていない。そこで約12年ぶりに同地を訪れて懐かしい気持ちに浸れれば…そんな思いで2つの場所へと向かった。

池袋からだと当然近いのは高田馬場だったので、まずは歩いて高田馬場を目指す。目白を挟んで2駅分歩けばいいだけなのでそんなに大変ではないが、久しぶりの訪問ということもあり、そわそわしてどこか落ち着かなかった。

神田川

まず池袋のマルイまで出ると、そこから明治通り沿いにずっと南へと向かう。

途中都電荒川線の学習院駅付近を通り路面電車を目にしたが、この荒川線は早稲田駅まで来ているため、高田馬場に住んでいる時は結構目にしていたので懐かしかった。

それからもう少し南へと下っていくと、懐かしい川沿いの風景が見えてきた。神田川である。高田馬場も東中野も神田川沿いに面しているので、この川には非常に思い入れが強い。興奮しつつ何枚か写真を撮ると、当時の記憶を思い起こしながら道を進んでいった。

ラーメン二郎高田馬場店

何しろ12年ぶりということもあって少し地理に不明確な点もあったのだが、とあるラーメン店に行列ができているのを見てピンときた。その近くに自分の住んでいた部屋があったのを思い出したのである。

実は私が当時住んでいた時にはそこにラーメン屋はなく今は合併して三菱東京UFJ銀行となってしまった懐かしの三和銀行のATMがあったのだが、その場所に来てすぐに当時のことを思い出した。

自分がその時通ってきていたのは新目白通りという通りで山手線の高架橋の手前で左に折れ坂道を上がっていくと高田馬場駅にたどり着くのだが、そのあたりは実によく通っていたのでとにかく懐かしかった。

高田馬場駅前

さすがに12年も経つと別の建物や店になっている所もなくはなかったが、当時のまま残されている建物や店もいっぱいあって、それを見つける度に懐かしさがこみ上げてきた。

ところが肝心の当時借りていた部屋は結構入り組んだ住宅地の中にあったこともあり、なかなか見つからず苦労する。

もっとも近くにあった公園やコンビニエンスストアがそのまま残されていたため、何とか最後には見つけることができた。そこは当時のままマンションの建物も残っていて、当時の事が懐かしく思い出された。

松屋での昼食

そこで記念撮影を済ませると、今度は高田馬場駅へと向かい周辺を探索する。

ここも当時の面影が多数残されていて非常に懐かしかったが、商店街を通り東京富士大学の近くにある当時通っていた法律の専門学校はすでになくなっていたのはちょっと残念だった。

高田馬場駅の高架線をくぐって坂を上り早稲田通りをまっすぐ行くと東中野の近くに出るのだが、そこは前述の法律の専門学校に通うために東中野から自転車でよく通っていたので特に懐かしかったのだが、西友や松屋などの馴染みの店も残っていて、松屋では13時ぐらいに昼飯に豚飯のセットを食べた。

1月8日金曜日、大学生活を偲んで(東中野編)

小滝橋

早稲田通りをそのまままっすぐ進んでいくとまもなくして小滝橋という交差点に出る。

ここは小さな道も含めると5つの道が交差していて、信号機が珍しい変わり方をする。それも含めスーパーのいなげややレンタルビデオ店のゲオなどの店もそのまま残されていた。

そして隣接するようにして神田川が流れていて、その川沿いに更に進んでいくと東中野に到着。東中野は高田馬場に引っ越す前、高校卒業して一番最初に生活を始めた場所なので特に思い入れのある場所なのだが、今回ついに約14年ぶりぐらいに訪れることとなった。

JR東中野駅周辺

橋などは当時のままで非常に感慨深かったが、ただ東中野は2000年頃に都営大江戸線ができてからかなり開発が進んだらしく当時とはだいぶ違う所もあり少し戸惑った。

それでも高架線のあたりまで来ると、その周辺は非常にインパクトがあるのですぐに思い出せた。

そこから当時の記憶そのままに道をたどってついに部屋のあった場所にやって来れたのだが、残念なことに当時住んでいたアパートは既に取り壊されて新しいマンションに建て替えられてしまっていた。

まあ私の住んでいた時から結構な年代物の古いアパートであったし、風呂もなかったので時代の流れからすれば仕方ない所ではあったが、やはり寂しさは隠せなかった。

JR東中野駅ホーム

そして近くにあった銭湯にも行ってみたのだが、こちらも既に店を畳んでおり、当時の面影はなかった。

結局その周辺を懐かしそうにしばらく歩き写真も撮ったのだが、面影はある程度残しつつも変わってしまったのだという気持ちで胸がいっぱいになりつつ、そこで携帯電話の電池が切れかけたので急遽池袋まで戻ることになった

1月8日金曜日、大学生活を偲んで(同級生との再会)

JR新宿駅西口付近

池袋に戻って電池の充電ほかしばらく時間を過ごし、18時ぐらいに部屋を出て今度は新宿を目指した。この日は夕方からは大学時代の同級生2人と会い飲む約束をしていたからである。

新宿は東中野・高田馬場からどちらも2駅の場所にあり、大学の通り道でもあったことから非常によく下車していた場所だ。馴染みがあるせいもあるかもしれないが、いまだに渋谷に比べると気分が落ち着いて過ごせる。

新宿に着くと西口へと向かった。こちらにはヨドバシカメラや小田急などがあるが、こちらもほぼ当時のままで非常に懐かしかった。ただ昔よく通っていたゲームセンターは最後まで見つけることができず残念だった。

KICHIRI 恵比寿

しばらく写真撮影などに励んでいたのだが、そうこうしていると新宿郵便局の前あたりに来た時に大学時代の同級生から連絡が来て、飲み会は恵比寿で行うことを告げられる。

そこで急遽再び山手線に乗って恵比寿へと向かった。恵比寿はあまり馴染みがないのだが、2008年の6月に両親や親戚と一緒に東京に行った際に恵比寿ガーデンプレイスで食事をした事があった。

時刻が19時を回った頃、ようやく大学時代の同級生の一人と再会を果たす。確か2001年以来8年ぶりぐらいだったが、お互いあまり変わらず元気そうなのでホッとした。

我々が入ったのは駅前にある「Kichiri」という店で、内装とても大人っぽくてシックいい感じだった。店員も愛想よく挨拶もできて好印象だ。

KICHIRIでの食事

もう一人の同級生は仕事の関係で少し遅れるとのことだったので、二人で先に食事を始めることとなった。

さすがに久しぶりということで懐かしい話や他の同級生のその後の話、最近の近況や趣味の話など、いろいろと話が尽きず楽しく時間が過ぎていった。

料理の方はお通しから京豆腐のサラダ、梅豆腐、漬物セットなどを頼み、それからもう一人の同級生が合流してまぐろのカルパッチョ、海老マヨ、明太子うどん、ふかひれチャーハンを食べた。飲み物はビールを2杯と、ジャックダニエルソーダ、梅酒、カシスオレンジと会話も弾んだので自然と杯を重ねた。

自分仕立てラーメン康竜

23時過ぎに店を出て、それから新宿東口の康竜というラーメン屋で、麺の固さやトッピングなど指定できる自分仕立てラーメンというのを食べてお開きとなった。

久しぶりの再会で楽しい話ができたが、また近いうちの再会を約して各自帰路に着いた。

1月9日土曜日、大会前日

きつね鍋うどん

翌1月9日土曜日は、マラソン大会前日ということもありあまり無理はしなかった。

1日のほとんどを部屋の中で過ごし、前回の鈴鹿の大会の記録をまとめるなどして時間をつぶした。

食事も近くのスーパーで買った食材で間に合わせた。朝昼は貧相な食事だったが、晩御飯は寄せ鍋にカキ、豆腐を加え韓国風サラダにネギトロにビールと豪勢に食べて栄養をつけた。

大会当日

大会会場へ

大会当日の池袋駅前

前日は結構な疲れがあり夜10時前には寝た。そしてこの日は深夜1時に一度目が覚めたが起きたのは朝の5時半ぐらい。

朝ご飯にはきつね鍋うどんと九州産柚子胡椒使用たらこうに仕立てパスタを食べ、7時50分ぐらいに出発した。

歩いて池袋駅に向かいちょうど8時ぐらいだったであろうか、池袋駅西口前に到着直後に友人からメールが来た。それがすごく心のこもった温かいメッセージだったので何だかとても励まされた。

赤羽駅前1番街

それからJR埼京線で赤羽駅へ向かうが、池袋からだと乗り換えもなく10分ほどで着くためあっという間だ。

駅の構内はターミナルになっているため結構大きく人の出入りも多かった。

出口を出るといつものようなマラソン大会への進路を示すようなものが何もなかったため一瞬戸惑うが、前もって調べておいたので、すぐに軌道修正をして下町のような雰囲気の1番街の商店街をまっすぐ進んだ。

すると自然と運動着を着たスポーツバッグを持った人の流れができていたので、あとはもうその流れに従って歩いていくだけでよかった。

大会会場へと続く行列

ただ大会会場が近づくに従って行列がすごくなり、足が止まることも何度もあった。

さすがに参加者が1万人を超える大きな大会だけのことはあるが、時間にも余裕があったので問題なく余裕を持って歩くことができた。

スタート前

大会会場全景

行列で混雑する中新荒川大橋という大きな橋を渡ると荒川の大きな河川敷が見えてきて、テントもたくさん建てられていて人の数も凄く、そこが大会会場だとすぐに分かった。

荒川の河川敷は非常に広くて1万人を超える参加者がいるためか練習する人もたくさんいて賑やか、更にはDJによる実況放送のようなものも場内に流れていてさすが東京の大会といった感じだ。

ちなみに今回の大会のスタート&ゴール地点となっている場所は普段は新荒川大橋野球場という野球場らしい。野球ができるぐらいだからそれだけでかなり広いものとお分かり頂けるかと思う。

スタート地点前

そして荒川の河川敷というのは前述の通り人気ドラマ「金八先生」のオープニングでロケ現場として使われるぐらいだから、かなり雰囲気のある場所だ。私もかなり早めに到着したので先にいろいろな場所の写真撮影を済ませた。

写真撮影を一通り済ませると、一輪車の部や親子ペアの組が先にスタートし、私もそれをずっと眺めていた。

男子更衣所

ほのぼのとしていい雰囲気だったが、この時実況アナウンスが面白いことを言っていた。

くまのプーさんの着ぐるみをした人物がいたらしいのだ。ただこの時は残念ながら私の目では確認できなかった。

今大会は参加者が多いためかと思われるが事前にゼッケンなども送付されてきていたので受付というものはなく、大会参加賞のTシャツだけ受け取ると、男子更衣室のテントは混んでいたのでその横で着替えを済ませ、荷物はビニール袋にまとめて入れて自分のゼッケン番号を書いた札をつけてから預り所があったのでそこへ預けた。

荷物預かり所

この預り所というのが実によく設計・管理されていて、1万人の参加者があるにもかかわらずストレスフリーだった。こういう所に大会運営がよく出来ているかどうかというのは表れるものだが今回の大会は運営面では抜群に優れていたように思う。

ただその一方でトイレには手こずった。河川敷に作られた大会本部だけに、周囲には他にトイレはまったくない。十分な数の仮設トイレが設置されていたようには思うのだが、それでも行列ができてしまうほどだった。今回の大会は早めにトイレには行っておくべしといういい教訓になった。

トイレに並ぶランナーたち

トイレに並んでいる時にラジオ放送のような場内アナウンスが谷川真理さんや猫ひろしなどのゲストランナーとして参加している芸能人のインタビューを中継していたが、残念ながら私はそれを自分の目で見ることはできず音だけで聴いていた。

そうこうしているうちに10時にAコースがスタートし、まだ行列の中にいた私は少し焦るが、それでも無事にトイレを済ませBコースの10時15分のスタートには余裕を持って並ぶことができた。

スタート

握手を求められるドアラ

スタート地点にはもうかなりのランナーが並んでいて、スタートラインはかなり前方となってしまった。

そして周囲を振り返ると右にドアラ、そしてすぐ後ろにはダースベーダーの扮装をしたランナーがいるのが目を引いた。

緊張が高まる中ほどなくスタートの合図があり、私は自分の時計で測ってちょうど1分ぐらいのロスでスタートラインを通過した。そしてランナーたちがたくさんの拍手を鳴らしながら勢いよく走り出していった。

後方にいたダースベーダー

最初は少し道路も混雑していてそれを避けるように道路橋の芝生を走って足の負担軽減しようとするが、逆にデコボコしていて足に良くなかったかもしれない。

何とか標識も確認でき、最初の1kmは5分30秒ちょっとだった。

そしてこの後も1キロごとの表示が非常に分かり易かったこともあり、腕時計でタイムを計測しながらいいペースを作って走れることができたように思う。

レース中盤

最初の土手を駆け上がる

それからこの日は妙に調子が良かったので、ペースをちょっと上げて5キロ地点ではスタートでの1分のロス除くとほぼ5分ペースの25分で走ることができていた。

給水はアミノバイタルだけで頭にかけようっとするとベタついたが、飲む方では今回も慎重に落ち着いてペースを落として飲んだ。

その後も順調すぎるぐらい順調で、5分か5分を少し切るぐらいのペースで折り返し地点まで持っていくことができた。

コースはランネットなどのサイトで紹介されていたとおり非常にフラットで走りやすい。

最初に河川敷から土手に上がって降りる所が1箇所と、あとは川にかかる橋の下を通った時に少し上下があったぐらいで、坂でも平地で走っているのと同じ感覚で前傾しながら走り抜けることができた。

折り返し地点近辺のイメージ

景色はずっと河川敷だが、「金八先生」のロケにも使われるぐらいなので雰囲気は良く、ランニングコースにもなっているためか素材がいいのかアスファルトもデコボコしていないし、とにかく走りやすく体に負担かからなかった。

10キロ地点も50分を切るペースで、計測のラインをしっかり踏むことができた。ちなみに今回はスタート地点にも計測ラインがあり、ネットタイムも出るし、10キロ地点のタイムも計測してもらえるので、このあたりも実に親切、行き届いた運営は高く評価したい所だ。

折り返し~レース中盤

ゴールを目指して疾走するランナーたち

折り返しの少し手前から15分前にスタートしたであろう人の一部をさっそく捉え始める。そして折り返し地点では緑のポールをポンポン叩く余裕もあった。

折り返すと少し風が強かったが、前回の鈴鹿シティハーフマラソンの経験が活きてほとんど苦痛に感じなかった。

あの時の風の強かったことと言ったらそれは大変なものだった。やはり辛い経験を一度でもしておくと、その後に同じような事を経験しても辛く感じなくなるものだ。

そしてそこからしばらくは遅れている折り返し前のランナーとすれ違うので、前にいるという優越感で気分も悪くなかった。

そこまでずっと気分よく走っていたのだが、14キロ地点ぐらいに差し掛かった所で突然後方からダースベイダーのテーマ曲が聞こえてくる。

最後の橋をくぐってゴールを目指す

スタート地点で私のすぐ後ろにいた例のダースベーダーに扮したランナーだったのだが、私や私と同じペースで走っていたランナーたちを颯爽と抜き差っていった。

抜かれた瞬間は正直気分はあまりいいものではなかったが、ああいうパフォーマンスをする位なのでよほど自信はあると見えやはり速い。苦笑いしつつもそれは素直に認めなければならないと思った。

レース終盤~ゴール

ゴール地点

15キロ地点を過ぎてもずっと5分か5分を切るペースで給水の時に15秒ぐらいロスするのを除けば本当にいいペースだった。

18キロ過ぎたあたりで少し疲れも出てきたが、それでもいつもよりは全然問題ないぐらいの調子良さ。

それにあまりに理想的なペースで走れていたので、ここまで来て最後がグダグダになってしまってタイム落とすのも非常にもったい無く、かつ悔しいので気持ちで負けないように走った。

最後まで抜かれるより抜く人数の方が多かったが、18キロ過ぎぐらいからは普段の私もそうだがペース落ちる人が多いので、なおさら抜き去る人数が多かった。ここがハーフを走る時には踏ん張り所なのだと改めて感じた。

ゴール直後

コースはほぼずっとまっすぐで、曲がる所といったら折り返し地点とゴール手前に右に折れてラインを通る時だけ。そしてゴールは昔の箱根駅伝のように角を曲がるとパッと目の前に現れるので何だか妙に気持ちが良かった。

タイムは手元の時計で1時間48分32秒。そしてネットタイムはゴールして止めるまでほんの少しロスしたので、2、3秒ぐらいマイナスなのではないか思うので、自己計測では1時間47分30秒ぐらい。これは今までのベストタイムを5分以上縮め、なおかつ初の1時間40分台となる好記録だ。

レース後

ゴール直後

ドリンクを受け取る完走者たち

ゴールしてからまずおしぼりのサービスを受け取り、それからアミノバイタルの500mlのペットボトルを受け取った。

それからランナーズチップを返却し、その後はかなり余裕があったので写真を撮りまくる。調子に乗り過ぎて道路脇にあった段差に気づかずにすっ転んだのだが大事には至らず良かった。

そしてゴール前でスタート前に場内アナウンスで存在を知らされていたくまのプーさんをついに発見する。

ランナーに声援を送るくまのプーさん

その後土手の坂を上る辺りまで戻ってレースの雰囲気を撮影したのだが、赤羽駅へ戻る新荒川大橋の上までもう結構な人の列になっていた。

しかし私はそこで帰ることはなく、表彰式始まるということで会場に引き返した。表彰式やチャリティーオークションにはゲストランナーや谷川真理さんも登場することが予想できていたからだ。

表彰式&チャリティーオークション

表彰式

すぐに帰る人も多かったが、表彰式・チャリティーオークション会場にもたくさんの人が集まっていて大変な賑わいだった。

間もなく谷川真理さんが登場し、男子シニアの部から順番に表彰式が行われたのだが、理由ははっきり分からないが私も走ったBコースの人がいい記録が多かった。たぶんAコースには工事中で滑りやすい区間があったからなのであろうかと想像している。

表彰式終わると今度はチャリティーオークションがスタートし、お笑い芸人の長井秀和や猫ひろし、それに女子ゴルフの元賞金女王の村口史子氏らが登壇。大会を通して実況放送していたディスクジョッキーの2人も姿を見せた。

チャリティーでは例のくまのプーさんが大活躍し、オークション参加率が一番高く会場を沸かせてくれていた。ああいう人がいてくれるとこういうイベントはとても盛り上がる。

チャリティーオークション

オークションでは猫ひろしの他、格闘家の桜井マッハや、Qちゃんこと高橋尚子選手、弘山晴美選手や尾崎好美選手などのマラソン選手、それに長谷川理恵といったマラソン好きの芸能人など、会場には来ていない人の出品物などもあった。

そして真打ちの谷川真理さんの出品物には3万円つけてくれた方がいて、会場が大いに沸き上がった。

帰路

赤羽駅改札口

帰りは道に迷うもそんなにロスせずに駅まで戻ることができた。

会場には食べ物の出店も多数あって食べたかったのだが、夕方に今回の東京行きでお世話になっている親戚とバイキングに行く約束があったので我慢して帰った。

帰りの到着は14時半の予定だったが、チャリティオークションまで見ていたので15時半ぐらいに池袋の部屋に着いた。

新宿での晩餐

新宿中村屋

部屋に着いてからはあまりゆっくりできず、風呂にだけ入って汗を流すと16時半過ぎに池袋を出て新宿へと向かう。

そして17時20分過ぎから新宿駅東口のアルタ前を右に曲がり、紀伊国屋書店の近くにある新宿中村屋の4階にあるカレーバイキングのラコンテというお店で遅い昼ご飯を美味しく頂いた。

カレーは種類がチキン、欧風、シーフード、豚と和風、キーマと5種類あり、中でもチキンカレーが断然美味しかった。

カレーバイキング

デザートもサラダの野菜なども美味しく、特にレモンゼリーがさっばりとしていい感じで頂けた。

ドリンクもいろいろとあったのだが食事を楽しみたいのでアイスティーだけにしておいた。

中国武術を見学

西新宿へ移動中

その後19時から親戚が参加している中国武術の練習を見学した。

本当は18時20分に店を出たかったらしいのだが、トイレ寄ってから18時30分ぐらいに中村屋のビルを出て、すぐに地下街を通って西口地下を経由して都庁を通って西新宿の方に向かう。途中ライトアップもいくつか見ることができ、とてもきれいだった。

何とか19時ギリギリに練習の行われる施設に到着し見学させて頂いたのだが、先生も気さくでいい人だったし、親子で来ている人もいて温かい雰囲気だった。

見ていると楽しそうで自分もやりたくなってぐるぐらいで、あっという間に2時間が経過した。

なめこおろしそば

21時に施設を出て近くのそば屋で先生や練習仲間の方と遅い晩御飯を食べる。ビールとなめこおろしそば注文した。

池袋の部屋に帰るとマラソンも含めた一日の疲れですぐ寝た。23時半ぐらいで親戚の方が買い物だけ行ってくれた。

翌1月11日月曜日、東京から名古屋へ

帰りの新幹線

翌朝5時には目が覚める。親戚の方が早くから外出して夕方まで戻ってこないということで早めに出立することになる。

池袋で新幹線の切符買い、山手線で東京駅まで親戚の方と一緒に行き、そこで別れて新幹線口へ向かった。新幹線に乗ってから友人にメールをする。10時20分発で、帰りもうたた寝してあっという間だった。

12時過ぎに名古屋に到着。地下鉄を経由して、最後は家まで歩いて13時過ぎには無事到着した。疲れもあって洗濯だけしてからその日はかなり早く床に就いた。

後日談

上記のような4泊5日の東京滞在だったが、前半では大学時代の所縁の場所や同級生との再会など懐かしく嬉しい時間を過ごすことができた。

そしてマラソン大会では自己ベストも出すことができたのに加え、ゴールまで充実した走りで非常に満足度の高いレースを展開できた。

大会運営もこれまで参加してきたどの大会にも負けないぐらい充実度が高かったし、交通アクセスも非常に便利なので、既に来年も参加を検討している。

しばらくしてから完走証も兼ねたハガキが送られてきて、ネットタイムはちょうど1分だったことが分かった。

振り返ってみると自身初の1時間40分台の記録なので、今回の大会はずっといい思い出として残っていくと思う。

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