マラソン

大会結果レポート(水都おおがきハーフマラソン2009)

大会データ

Runnet

日時
2009/10/25(日) 9時40分(スタート)
場所
岐阜県大垣市浅中公園(名神高速大垣I.C.西)
21.0975km(ハーフマラソン)コース
主催
岐阜新聞・岐阜放送、岐阜新聞マラソン実行委員会
運営協力
岐阜岐阜陸上競技会、大垣市陸上競技会
協賛
(株)大光
後援
岐阜県教育委員会、大垣市、大垣市教育委員会、(財)岐阜県体育協会、(財)大垣市体育連盟、西濃地区陸上競技協会、大垣市観光協会、(財)岐阜県イベント・スポーツ振興事業団、岐阜県高等学校体育連盟、岐阜県中学校体育連盟
協力
岐阜県警察本部、大垣警察署、大垣消防本部、大垣市医師会、奥長良川名水株式会社、名阪近鉄バス、大垣共立銀行社会貢献推進委員会、江東会、いびがわ走ろう会、神戸走ろう会、アスリートNAGARA、大塚製薬、岐阜経済大学陸上競技部
支援
大垣ライオンズクラブ、大垣東ライオンズクラブ、大垣南ライオンズクラブ、大垣水都ライオンズクラブ、大垣城ライオンズクラブ
天候
晴れ時々曇り
記録
1時間55分46秒(完走・非公式記録)
関連リンク
岐阜新聞の水都おおがきハーフマラソンのページ
岐阜新聞
岐阜放送

大会前

岐阜県大垣市とは

大垣市紹介

今回訪問することとなった岐阜県大垣市は日本列島のちょうど真ん中あたりに位置する都市と言われている。

人口は2009年現在16万人ほどで県庁所在地の岐阜市に次ぐ第2位の都市で、地下水が豊富で周囲には多くの川もあることから「水の都」の異名を持ち、豊富な地下水を生かした菓子作りやかつては繊維産業も盛んだった事で知られているらしい。

また岐阜県といえば昔の国の名前で考えると北部の飛騨と南部の美濃を合わせた県だが、岐阜の名前は私の大好きな戦国武将の織田信長が1567年に斎藤氏の居城で難攻不落と言われた稲葉山城を攻め落とし、その一帯を「岐阜」と名付けたことが由来とされている。

そして信長は以後はこの岐阜を拠点に「天下布武」を目指して勢力を拡大していくことになるため、このマラソン天下布武でも早く走りたいと思っていた県の一つだった。

松尾芭蕉ゆかりの地

一方大垣市の方も、江戸時代の俳人として名高い松尾芭蕉が「奥の細道」で結びの句を詠んだ街として松尾芭蕉ゆかりの地として有名であるほか、またあの天下分け目の合戦が行なわれた関ヶ原にも近く、大垣城は1600年の関ヶ原の戦いでは西軍の本拠地として石田三成以下西軍の大将が集まって話し合いを持ったことでも知られている歴史ある都市だ。

日本の歴史、とりわけ戦国時代が大好きということもあり、そんな歴史的な街で開催されるマラソンということで楽しみにしていた。

大会前日の夜

新幹線時刻表

2009年10月25日に行われた今回の大会だが、今回は仕事の方が多忙なためなかなか本格的に走り込む時間がなく、またこの年3月の京都シティハーフマラソン以来のハーフマラソンということもあり、正直多少不安な気持ちで大会前日を迎えた。

そしてこの週末は仕事の都合で京都の方に滞在していたため、日曜日の朝早くに京都を発ち新幹線で名古屋まで移動、そこから東海道線で大垣まで行き、そこから臨時のシャトルバスで大会会場へ向かうという経路を選択することとなった。

実は京都から大垣にはJRを使えば米原まで行き、そこから東海道線に乗り換えて大垣を目指すという方法もあり、そちらの方が30~40分以上時間はかかるものの交通費もかなり格安なのだが、如何せん早朝の移動で本数が少なく、シャトルバスの最終に間に合わせるには名古屋に一度戻るしかなかったのである。

24日の夜はしっかり食事をしてリラックスして過ごしたが、結局深夜1時過ぎに布団には入ったもののこの夜はなぜかよく眠れず、結局5時過ぎまでは眠れずにいたことははっきり記憶している。睡眠時間としては1時間も眠れないという最悪のコンディションになってしまった。

大会当日

京都を出発~まず名古屋へ

名古屋へ向かう新幹線

6時半過ぎに京都駅へ向かう最初の電車に乗らないと間に合わないスケジュールだったため、結局ほとんど眠れずに25日日曜日を迎え、朝5時35分ぐらいに目覚ましをかけて無理やり起きてから、結構慌ただしく部屋を片してボンゴレビアンコのパスタをかき込んみ、6時15分ぐらいに自宅を出る。

もっともこの最初の京都行きの電車に乗れてからは、前日しっかり時刻表調べておいたので、6時47分発名古屋行き新幹線、7時36分発大垣行き東海道線、8時35分発の名鉄バスの臨時バスと、予定どおり何の問題なく大垣までたどり着くことができた。このあたりは事前の準備が大事と7月の鳥取行きの際に痛切に感じていたことで、しっかり経験として自分の中では根付いている。

東海道線米原行き

睡眠不足の時は妙にハイテンションで日中ぐらいまでは過ごし、午後になると急激に眠くなるというのは徹夜をされる方はよくある事だと思われるが、例にもれずこの日の自分はまさにそのような感じで、最初の駅から携帯でパシャパシャと記念撮影をしまくり、新幹線の中でも名古屋の新幹線出口でも東海道線の名古屋駅でもひたすらに撮影に打ち込んでいた。

名古屋から東海道線で大垣~シャトルバスで大会会場へ

大垣駅改札口

東海道本線で大垣は名古屋からだと岐阜を通過しさらに米原方面に何駅か行った所にあるのだが、数年前に新幹線を使わずに名古屋から大垣を経由し米原~京都駅と2時間半ほどかけて京都に行っていた時以来の大垣で、しかも降りるのは初めてということもあり感慨深かった。

大垣駅に着くと前日インターネットで下調べしていた通り改札を出てすぐの所にコインロッカーを発見、荷物の大半はそこに置き、スーツも脱ぎ前もって下に着ておいたシャツとパンツと帽子とサングラスと靴下と靴とタオルという出で立ちで、貴重品とゼッケンとパンフレットだけ持ちバス停へと向かう。

大会会場行きシャトルバス車内

バス停に着くと自分が乗るはずの8時35分の時刻まではまだ15分以上あるはずなのになぜかバスが停まっており、その前のバスはもうとっくに出発しているはずなので戸惑っていたらあっという間にそのバスは出発してしまった。

大会パンフレットにはない時刻にもバスは出ているのかどうかは確認できなかったが、結局予定どおりの時間のバスに乗れたのでまったく問題はなかった。

バスが出発すると途中前の若い女性二人組が乗っており場違いな化粧の強烈な匂いにちょっと戸惑ったが、最近は若い女性の間でランニングも流行しているのでこういうこともあるのであろうと納得しつつバスはどんどんと大垣の街を進んでいった。確か予定表には15分かかると書いてあったのだが、交通事情もあったのか実際には25分近くかかり冷や汗をかいたが何とか受付時間には間に合った。

スタート前

浅中公園前~大会本部

会場となる浅中運動場に到着すると運動場の前にはもうかなりの人がいて皆さん準備運動やアップに余念がなかった。

残念ながら今回は運動場は改修中だったらしくてスタートもゴールも運動場前の道になったらしいのだが、そのスタート地点も含めて記念写真を何枚か撮ってから参加賞の記念品と袋を受け取り、それからシャツ一枚だったのでトイレ裏のあまり人気のない所まで行きゼッケンをシャツにつけて準備を整えた。

ところがそのあとになってちゃんと更衣室があることを知り、そちらに入って荷物だけ置いていったのだが、ロッカーは数が少な過ぎて全部埋まっていたので、貴重品はズボンのポケットにタオルにくるんで入れ、鍵もないロッカーには貴重品以外のそれほど大事ではない物だけ置いていった。

それにつけても貴重品預かり所がなさそうだったので、大垣駅のコインロッカーにほとんど預けてきて正解だった。これは鳥取の時にもそうしたのだが、やはり経験のなせる業である。

エントリー受付口

それから開会式などもやっており衆議院議員などのお偉い先生方の挨拶も聞けたのだが緊張もありほとんど耳に入ってこない状態で、間もなくスタート地点に並ぶ時間となり、少し早めに行ったこともあってかかなり前の方に陣取ることができた。

スタート直前にも一枚写真を記念に撮る余裕もあったのだが、その後はどんどん緊張感が高まってきて、あとは今回の大会前に新たに購入したストップウォッチを準備しながら3分前、1分前という叫び声の中じっと待っていた。ちなみにこの時計を持参したのも前回鳥取の時の反省から来ている。

スタート~レース序盤

スタート直前

そしていよいよスタートの合図とともにみんな一斉に走り出し、私もタイマーのスイッチを入れて勇んで走り出す。

京都ハーフマラソンのように渋滞になることもなくかなり最初からいいペースで走り出せたのだが、最初の1キロ地点の表示板を見つけることができない誤算が生じ、2キロ地点でようやくタイムを確認することができる。

すると何と8分ちょっとという1キロ4分ペースで走っていたことが分かり、慌ててペースを落とした。1キロ4分で最後まで走り切れればもちろんいいのだが、このペースだと21キロで約84分、すなわち1時間24分のタイムでゴールする計算になり、京都ハーフの時(約1時間55分)より30分以上早く、さすがにこのペースだと後で絶対バテると思ったからだ。

それからは1キロ5分ペースを維持しつつ頑張って走ったが、ストップウォッチがあって本当に良かっと思う。これがなかったら早い集団のペースに巻き込まれて後半潰れ完走できなかったかもしれないと今でも思う。ペースを落としたので1キロ5分ペースの人たちのあたりまではどんどんと追い抜かれていったが、さすがにこれは走り込み量が違うから仕方ないと自分に言い聞かせて自分のペースを守り切ることに徹した。

レース中盤~ゴール

ゴール前時計

ペースも今回はしっかり管理できたが、給水でも今回は6キロ付近と11キロ過ぎと16キロと3か所あったのだが、さすがに慣れてきたもので水をカップから直接かけずに手の平ですくって少しずつ腕や体にかけるなど工夫を凝らしてびしょびしょにならなかったし、スポーツドリンクも慌てないでじっくり飲むことができた。このあたりは本当にレースを実際に経験していかないと分からないことかもしれない。

ただそういう冷静さもあった反面、やはりハーフマラソンはきつくて、10キロを超えてもまだあと10キロ以上あるんだ…という心理状態でかなり精神的にはきつかった。半分過ぎても全然余裕はなかったし、あと5キロ、3キロとなっても苦しさの方が先に立って喜べなかった。あと1キロになった時はさすがにホッとしたが。

それと今回のコースは京都ハーフの時以上に直線が多い上に景色も結構田んぼが多く、のどかでいいといえばいいのだが悪く言うと単調なので、精神的にもタフなレースになった。

逆にアップダウンもそんなにい中、たまに来る坂では逆にいつもクロスカントリーのように坂の多い所で練習していることもあり、唯一元気が出て人を何人もごぼう抜きすることができた。その時はひょっとしたら箱根駅伝を走ったら山登りの区間の方が得意なのかもしれないなどと調子に乗っていたのだが、また坂が終わると結局どんどんと追いつかれてはじりじりと抜かれていってしまった。

ゴール前

やがて16キロの給水を過ぎたあたりから最初の2キロを8分で走った影響からか足がかなりきつくなり、左足裏にはマメもできてラスト5キロは足が本当に動かなくなった。

たぶんラスト5キロは1キロ6分ペースぐらいかかっていたのではと想像しているのだが、それでも10キロ地点を確か57分ぐらいで通過していたのは記憶しているので、ラスト11キロで59分ぐらいでまとめている計算を考えてみると、実は1キロ弱多い分後半の方がタイム早かったことになる。10キロ過ぎから15キロぐらいまでにいかに頑張っていたかということかもしれない。

そうこうしているうちにようやく無事完走となり、タイムは京都ハーフより20秒ほど遅い1時間55分46秒ぐらいだった。今回はランナーズチップというコンピュータ計測システムがないため、非公認記録でタイム自分で確かめなければならず、手元の時計では1時間55分40秒を差していたのだが、最初走り始めた直後に一度だけ誤って5、6秒ほど時計のタイマーを停めてしまったので、だいたい上記のような記録になってしまったが、ゴール前の時計も大体同じぐらいのタイムだったので間違いないと思う。

レース後

ゴール直後

ゴール直後の自画像写真

さすがにレースが終わった後は足がもうパンパンで、さらに給水も少なめの大会だったこともあってとにかく喉渇いたので、すぐにペットボトルの水と完走証を受け取りごくごくと水を飲む。

ここでハッと思い出して、携帯電話のカメラでゴール前にある時計を撮影しようとしたのだが、もうすでに1時間58分になってしまっていた。

表彰式

それからも何枚か記念撮影してから更衣室に荷物を取りに行き、その後表彰式とプレゼントの抽選会を途中まで見届けてから名鉄バスのシャトルバスに乗って大垣駅に戻った。

そういえばプレゼントに”ソルトボール”というのがあったのだが、それを司会の女性が”ソフトボール”と言い間違えて、ソフトボールをプレゼントでもらっても…と周りにいた客が苦笑いしていたのが印象的だった。

ところでソルトボールって何なのだろう?(後からインターネットで調べたらどうも食塩を入れる容器のことらしい)

帰路1(大垣駅前)

大垣駅前

大垣駅に着いてからはまず行きには時間がなくて撮れなかった大垣駅の周囲の写真撮影に勤しむ。

ちなみに大垣駅前の真ん前あたりには塔が建っていて、これが水の都大垣のシンボルらしいのだが、下は噴水になっており水がザーっと噴き出して涼しげだった。夏などに来ればより一層涼しい雰囲気が味わえると思う。

あとは日記の序盤でも触れた「奥の細道」の結びの句を詠んだ松尾芭蕉ゆかりの地ということで松尾芭蕉の看板もあったのが印象的だったが、何せこの日は朝1時間しか寝てなかったこともありそれ以外はゆっくり見る時間的・肉体的な余裕がなかったのが残念だ。

昼ご飯

そしてその後は駅のコインロッカーに戻って荷物を回収し、駅前にあるアピオというショッピングモールのトイレで着替えをしてから、同じ建物の5階にあるスガキヤラーメンでラーメンと牛カルビ焼肉丼のセット(600円)を食べ、東海道線に乗り名古屋まで戻ることとなった。

帰路2(帰りの電車で~運命の出会い)

岐阜駅の織田信長像

ところがその途中岐阜駅に来た時に、窓の外を眺めていると金色に光る像が見えハッとさせられる。

実はこの年の9月26日に岐阜駅の北口前広場に黄金の織田信長像が建てられた、と少し前にニュースでやっていたのを知っていたからだ。

実は行きの電車でも注意して見ていたのですが結局見えなかったので諦めていたのだが、まさかそれが帰りになったら見られるとは。

思わず写真も撮ろうとしたのだが、携帯のカメラではいかんせん小さく写真の通りである。よっぽど途中下車して撮影したかったが、ただそれだけのために下車するのも疲れもあったし、元気な時にじっくりとという思いもあり結局それは止めておいた。

名古屋駅に到着

あとは名古屋駅から地下鉄、自転車と乗り継いで家まで戻り、帰宅後はさすがに疲れて16時から18時ぐらいまで少し寝て、その後大河ドラマ「天地人」を見つつ晩ご飯食べてから再び就寝についた。

後日談

完走認定証

そういえばこの大会の少し前に大阪朝日放送(ABC)の「探偵ナイトスクープ」という人気番組で鎧を身につけて山城を上るという企画があり、その中で会社が倒産して悩む中年男性が探偵と二人で岐阜城を一生懸命登っていくシーンを見て感動し非常に興味をそそられていたこともあったので、ますます岐阜にもう一度行ってみたい気持ちになった。

そう遠くない時期にまた訪問してみたいと思うし、マラソンの方もぜひまた挑戦したいと思っている。

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