1467年に発生した応仁の乱は10年以上に及び、日本全国を戦渦の渦に巻き込んで室町幕府の衰退を招き、戦国時代が到来するきっかけとなりました。
室町幕府の8代将軍足利義政の跡目争いから巻き起こり東軍と西軍に分かれて争ったこの戦いは京の都のすぐ南、南山城にも及びますが、長年の戦いに疲弊しきった南山城の国人や農民たちは自らの故郷の平和と安定を取り戻すため、1485年についに立ち上がります。
守護大名の畠山氏を追い出して約8年もの間、惣国と呼ばれる一種の独立国を形成して自らの自治による政治を行った「山城国一揆」。本大会はこの約500年以上前の大事件のゆかりの地を巡ります。
| 種目 | 参加資格 | スタート時間 | 制限時間 | 参加料 |
|---|---|---|---|---|
| 0km | 以上 | 0:00 | 時間分 | 0000円 |
室町時代の中期、1485年に山城国(現在の京都府南部)の上三郡(久世郡、綴喜郡、相楽郡)で国人や農民らが協力して守護大名・畠山氏に対して起こした抵抗運動。これにより成立した自治団体は惣国と呼ばれて8年の間自治が行われました。
1467年に8代将軍足利義政の後継者争いに端を発して起こった応仁の乱。細川勝元率いる東軍と山名宗全率いる西軍との戦いは日本全国を戦乱の渦に巻き込み、10年に及ぶ戦乱は幕府や守護大名たちの力を衰えさせて戦国時代に突入するきっかけとなったとされています。
当然京の都も戦渦に巻き込まれましたが、その南部に位置する南山城も例外ではなく守護大名の畠山氏同士が東軍西軍に分かれて多くの地が焼け野原になったといいます。
南山城は元々は公領や藤原摂関家、それに興福寺などの寺社の荘園が数多くあった場所ですが、戦乱が繰り返される中で守護大名の畠山氏の支配は不安定となっていて、農民たちは農事や神事などを「惣村」と呼ばれる自治組織を結成して自ら行うようになります。
その中でもリーダー的な役割を果たした有力農民はやがて武士としての性格をあわせ持ち「国人」と呼ばれ、国人の中には後に戦国時代に入ると毛利氏や長宗我部氏のように戦国大名となるまで力をつける者もいました。
そして南山城では木津、田辺、別所、狛下司などに有力国人がいましたが、これらの国人や農民たちは両畠山氏の長年にわたる争いに嫌気が差したのか、1485年に入るとついに行動に出ます。宇治の平等院に集まった国人や農民たちは評定を開き、両畠山氏の影響を排除するとともに南山城の自治を行うことが決まったのです。
これにより「三十六人衆」と呼ばれる国人衆たちの手で共同による政治がおこなわれるようになり、南山城は「惣国」とよばれる自治体が形成されることとなります。
この惣国と呼ばれる自治体はやがて内部の抗争が表面化して他国の介入を受け8年目にして瓦解することになりますが、一種の独立国が都のすぐ隣にできあがるという非常に画期的な事件だったのです。