宇治茶の産地として有名な京都府の南山城地域を中心とした一帯で開催されるマラニック・ウォーキングの大会。
お茶が中国から日本に伝わった時期は正確には分かっていませんが、6世紀中盤に伝来した仏教と大きな関わりがあるといわれています。
平安時代には天台宗の最澄や真言宗を開いた空海などの僧の手で種子が日本に持ち帰られていたらしく、更に鎌倉時代初期に臨済宗の開祖・栄西の手によりお茶の栽培がはじまると、宇治田原町や和束町の近辺を中心とした一帯で本格的な生産が行われるようになりました。
その後明治時代に神戸港が開港すると本格的なお茶の輸出がスタートし、生産地と木津川・淀川で神戸港とをつなぐ木津の山城町界隈には数多くの茶問屋ができて茶問屋街を形成して大変な賑わいを見せました。
本大会は和束町にある鷲峰山金胎寺のお茶供養まつりの関連イベントとして開催され、これらのお茶の集積地や生産地、発祥の地などを巡ります。
| 種目 | 参加資格 | スタート時間 | 制限時間 | 参加料 |
|---|---|---|---|---|
| 0km | 以上 | 0:00 | 時間分 | 0000円 |
お茶は中国から日本にもたらされたものですが、その時期についてははっきりしていないものの538年または552年とも伝わる仏教の伝来と深い関わりがあることは分かっており、遣唐使が往来していた奈良から平安時代の間に、天台宗の開祖で比叡山延暦寺を建立した最澄や真言宗の開祖で高野山金剛峰寺を建立した弘法大師こと空海などの留学僧たちお茶の種子を持ち帰ったという記録も残っているそうです。ちなみに一番古い記録としては平安初期の815年の「日本後記」に嵯峨天皇に僧の永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉ったという記述なのだとか。
当時のお茶は非常に貴重なものであり、しかも寺院での修行や薬用として用いられ僧侶や貴族階級などの限られた人たちが飲用することができるものでした。
それが鎌倉初期に入ると臨済宗の開祖・栄西が佐賀県の脊振山にお茶の種子を植えたのを皮切りに、茶の栽培がはじまり徐々に一般へと普及していきます。栄西は南宋に渡った際に種子を持ち帰り「喫茶養生記」という茶の効能や製法をまとめた初めてのお茶に関する書物を著したほか、京都の明恵上人が栄西より譲り受けた京都の栂尾に蒔いて宇治茶の基礎を築くなど、わが国のお茶の普及に大変な貢献をしています。
その後全国に広まったお茶は次第に嗜好品へと変化を見せ、室町時代には「茶道」の文化が発達し、戦国時代にかけて村田珠光、武野紹鴎や千利休などの茶道家たちにより更に発展し現在の形に。また戦国武将たちの間では茶器が褒美として与えられるなど流行し武士の嗜みとしても持てはやされます。
ちなみにそれまでのお茶といえば、蒸した茶葉を揉まずに乾燥させた色が赤黒く味も粗末な「碾茶(てんちゃ)」が主流でしたが、1738年に宇治田原郷の永谷宗円が乾燥させる前に「揉む」工程を入れることで品質を改良して生まれた「煎茶(緑茶)」が誕生するとたちまち評判となり全国に普及します。更に1835年には山本嘉兵衛により玉露の製法が発明され、こういった「宇治製法」の優れた技術により日本のお茶の品質は格段に高いものとなっていったのです。
近世になると茶町と呼ばれる流通の拠点が整備されて江戸の茶株仲間や地方の茶仲間と呼ばれる茶問屋たちが許可制でお茶の取引を行うようになります。
更に明治に入ると宇治を筆頭とする山城地方のお茶をこの時代に開港した神戸港から海外へ輸出するようになり、中でも京都の木津は木津川・淀川を経て神戸港と通じていることから多くの茶問屋が誕生し、茶問屋街が形成されて大変繁盛していたそうです。
ちなみに現在でも京都府木津川市の山城町上狛界隈にはサントリーの「伊右衛門」でおなじみの福寿園の本家「緑寿園」本店など、およそ40軒の茶問屋が軒を連ねていて、近年山城茶業組合創業120年を記念して、山城茶業之碑も建てられています。
京都府の南部・南山城地域の綴喜郡に属する人口約9600人の町で、宇治茶や世界遺産の平等院鳳凰堂で有名な宇治市の南に隣接しています。
町内には鉄道はありませんが近鉄京都線新田辺駅、JR学研都市線京田辺駅および、京阪宇治線宇治駅、JR奈良線宇治駅から、京阪宇治バスが運行し各方面と結ばれています。
主な産業は宇治茶を中心とした農業と町域の約7割が山林であることを活かしたスギ・ヒノキなどの林業、それに2つの大きな工業団地を中心とする工業も盛んで町の財政面を支えています。
特にお茶に関しては江戸時代にこの地方出身の永谷宗円により青製煎茶製法が開発されたこともあり、「日本緑茶発祥の地」を標榜しています(ちなみに永谷宗円の子孫は後に東京に出て食品メーカーの永谷園を創業している)
ちなみに「青製煎茶製法」とは、お茶の製造の際に従来の蒸す→乾燥という方法から、乾燥させる前に「揉む」工程を入れることで品質が向上しそれまでの黒っぽい色から青く(緑)仕上がるようになったといいます。これにより誕生した宇治の煎茶(緑茶)はたちまち評判となり、宇治茶を全国に広めるきっかけとなったといいます。
京都府の相楽郡にある人口約4300人の町で、南山城に属し宇治市の南に隣接する宇治田原町の更に南側に隣接しています。町には鉄道は通過していませんが、奈良交通バスがJR西日本関西本線の加茂駅と和束町とを結ぶ重要な役割を担っています。
「人が輝き美緑(みりょく)あふれる郷和束」を町の標語に掲げ、町の特産品はお茶、松茸、トマトなど。特に宇治茶については宇治茶全体の4割弱を生産する産地として知られているほか、近年ではてん茶(抹茶)の生産は全国トップクラスの生産量を誇ります。
ちなみに和束のお茶の栽培は町にそびえる標高685.6mの鷲峯山の山麓の畑に種を蒔いたのがその起源とされ、山頂付近にある鷲峯山金胎寺では毎年「鷲峰山金胎寺お茶供養まつり」と呼ばれるイベントが開催されます。
京都府の最南端に位置する人口約7万人の都市。2007年3月12日に相楽郡山城町・木津町・加茂町の3町が合併して誕生し、市の名前は西部を流れる木津川に由来しています。
京都市および大阪市から約30キロ、南部に隣接する奈良市とは約8キロの距離にあり、またJR奈良線、学研都市線、関西本線の3つの路線が木津駅で合流し、西部には近鉄京都線も通り、また市を縦断する形で国道24号、横断する形で国道163号が通り市内で交差しているなど交通の要衝であることから各都市のベッドタウンの役割を担い、市南西部の相楽ニュータウンなどのニュータウン開発により全国でも有数の人口増加率を誇っています。
産業としては関西文化学術研究都市の一部であることから、国の研究機関やロート製薬、オムロン、積水ハウス、福寿園などの有力企業の研究所が置かれています。
観光としては奈良時代の740年から44年にかけて恭仁京が置かれていたこともあり、それに関連する史跡が数多く残り、また寺社仏閣も各地に点在しています。
また山城町の上狛界隈には明治時代より宇治を筆頭とする山城地方のお茶を神戸港から海外へ輸出する拠点として発展し、現在も風情のある茶問屋街が残されています。