岡山藩士だった渡辺数馬がその姉婿で剣豪の荒木又右衛門の助太刀を得て、数馬の弟の仇で元岡山藩士だった河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で見事に討った仇討ち事件は、「鍵屋の辻の決闘」と呼ばれ「曾我兄弟の仇討ち」および「赤穂浪士の討ち入り(忠臣蔵)」と並ぶ日本三大仇討ちの一つとして様々なジャンルで作品化され人気を集めました。
本大会はスタートからゴールの鍵屋の辻までの荒木又右衛門の歩いた美しい大和街道12里約45キロを、歴史のロマンを感じながら決闘の助太刀に駆けつけるつもりでたどって行きます。
| 種目 | 参加資格 | スタート時間 | 制限時間 | 参加料 |
|---|---|---|---|---|
| 0km | 以上 | 0:00 | 時間分 | 0000円 |
寛永11年(1634年)11月7日に岡山藩士だった渡辺数馬がその姉婿で剣豪の荒木又右衛門の助太刀を得て、数馬の弟の仇で元岡山藩士だった河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で討った仇討ち事件で、俗に「伊賀越の仇討ち」とも呼ばれています。
「曾我兄弟の仇討ち」および「赤穂浪士の討ち入り(忠臣蔵)」と並ぶ日本三大仇討ちの一つとして、江戸時代から歌舞伎や浄瑠璃、講談などの題材となり、現代においても小説や映画、テレビドラマなどで数多く取り上げられています。
渡辺数馬の弟・渡辺源太夫は岡山藩主・池田忠雄から寵愛を受ける小姓でしたが、藩士の河合又五郎から関係を迫られてこれを断ると又五郎の手で殺されてしまいます。
その後又五郎は岡山藩を脱藩して江戸へ逃げ旗本の安藤次右衛門にかくまわれたため、藩主・池田忠雄は幕府に又五郎の引渡しを要求するも安藤次右衛門が旗本仲間と結集してこれを拒否。事態は外様大名と旗本の代理戦争の様相を呈してきます。
やがて池田忠雄が病で倒れると又五郎を討つよう遺言。主君からの遺言を受けた源太夫の兄・数馬は藩を脱藩して姉婿で郡山藩で剣術指南役を務めていた荒木又右衛門に助太刀を依頼し、その時奈良の旧郡山藩士の屋敷に潜伏していた又五郎の所在を突き止めます。
そして寛永11年11月7日、危険を察し伊賀路を通って江戸へ逃れようとする又五郎とその警護ら総勢11名を道中の「鍵屋の辻」で待ち伏せていた数馬と荒木又右衛門は早朝の辰の刻に切り込み決闘が開始されると、俗に又右衛門の「36人斬り」と言われる活躍もあり見事に又五郎を討ち果たしたのでした。