第20回伊賀忍者武術大会マラニック山城編

第20回伊賀忍者武術大会マラニック山城編

第20回伊賀忍者武術大会マラニック山城編

天正9年(1581年)の織田信長による伊賀攻め、いわゆる天正伊賀の乱で伊賀忍者のふる里は攻め滅ぼされ、生き延びた忍者たちは各地に散らばり仇である信長の暗殺の機会を伺います。

ところが翌年あの明智光秀による本能寺の変が起きて信長がこの世を去ると、伊賀忍者たちは今度は信長の跡を継いで次の天下人となった豊臣秀吉の命を狙います。しかし秀吉も近江国出身の甲賀忍者たちを放って自らの暗殺阻止に動き出し、ここに伊賀忍者vs甲賀忍者の図式ができあがるのです。

忍者たちはもちろん普通の道を普通に通ったりはしません。伊賀から京や大阪、堺へと通じる周辺の山々には忍者道と思われる道が沢山残されていて、本大会は風光明媚な歴史の街・忍者の里で400年前の忍者の走った道を楽しむことができます。

Runnet スポーツエントリー JTBスポーツステーション ジョグノート

大会名
第20回伊賀忍者武術大会マラニック山城編
(いがにんじゃぶじゅつたいかいまらにっくやましろへん)
開催日
2012年7月1日(日)
開催地
京都府綴喜郡井手町・木津川市・相楽郡笠置町 JR奈良線山城多賀駅前広場スタート・山城地域一帯
種目
種目 参加資格 スタート時間 制限時間 参加料
約39km 19歳以上 9:00 7時間
(関門1地点)
4000円
※フルマラソン走れる方
※当日エントリーは1000円増
コース
■スタート JR山城多賀駅
■フィニッシュ わかさぎ温泉 笠置いこいの館
(多賀駅前広場~万灯籠山~田村新田・有王~井手町飛び地有王~天神川~神童子、魚亀フード~尾根道~鳶ヶ城跡~海住山寺~加茂~兎並~山田~笠置いこいの館)
※万灯籠山、海住山を望む、尾根歩きのあるコース(高低差350m)
記録計測
なし
距離表示
なし
給水
5~6km毎(移動給水)
荷物預かり所
ゴールまで搬送
定員
200人(前大会の参加者数 198人)
参加賞・サービス
■ドリンク、昼食
■笠置温泉いこいの館の温泉入浴付
■売店なし
主催者
伊賀上野忍者大会実行委員会 京和トライアスロンクラブ
主管
 
事務局
伊賀忍者武術大会山城編事務局
〒619-0245
京都府相楽郡精華町下狛内垣外1-4 京和トライアスロンクラブ 井上博方
TEL:0774-93-0451 FAX:0774-93-0451
受付
JR奈良線山城多賀駅前広場(8:30)
第1回大会
 
最寄駅・アクセス
■スタート
 JR奈良線「山城多賀」駅
■ゴール
 JR関西本線「笠置」駅、国道163号沿いの木津川にかかる笠置大橋渡ってすぐ
HP
伊賀忍者武術大会マラニック山城編 京和トライアスロンクラブ
伊賀流 ウィキペディア
梟の城 ウィキペディア
天然わかさぎ温泉 笠置いこいの館
わかさぎ温泉笠置いこいの館 笠置町
井手町
笠置町
笠置町商工会
備考
旧続・忍者武術大会山城編マラニック

京都府とは

 

伊賀流とは

伊賀流とは伊賀国の地に伝わっていた忍術流派の総称で、近江国に伝わる甲賀流と並んで忍術の流派の中では最もよく知られています。江戸時代になり「伊賀忍者対甲賀忍者」という形で講談や読本の題材とされるようになりライバル的に捉えられがちなものの実際元々は協力関係にあったそうです。

本拠地は現在の三重県伊賀市と名張市あたりにあり、歴史上で登場する有名な事件といえば戦国時代の1581年(天正9年)に織田信長による伊賀攻め「天正伊賀の乱」で、作家・司馬遼太郎の「梟の城」(1959)の中で描かれています。司馬遼太郎はこの作品で翌1960年の第42回直木賞を受賞していて、さらにこの小説は1963年と1999年に二度映画化もされています。

1579年に信長の次男・信雄により伊賀侵略が画策されますが、いち早くその情報を掴んだ伊賀忍者達の奇襲によって信雄は大敗を喫してしまいます。

それを知った信長は激怒し、2年後の1581年に自らおよそ4万の兵を率いて伊賀に攻め込み、伊賀忍者たちの抵抗も空しくあっという間に攻め滅ぼされてしまいます。

その後生き延びた伊賀忍者は全国へ散らばり信長暗殺の機会を伺いますが、明智光秀に光秀による本能寺の変が起き信長がこの世を去ると、今度は信長の跡を継ぎ次の天下人となった豊臣秀吉の命を狙います。

しかしそれを察知した秀吉は堺の商人たちの力も借りて甲賀忍者を放って伊賀忍者による自らの暗殺を阻止にかかります。そして同時に力をつけてきた徳川家康の監視も命じたことから、伊賀対甲賀という図式が強調されるようになったそうです。

ちなみに本能寺の変の際に徳川家康が堺から甲賀・伊賀を通って伊勢から本拠地三河に逃げ帰ったいわゆる「神君伊賀越え」の際には、家康の家臣の服部正成(服部半蔵)が伊賀出身であることを生かし伊賀、甲賀の地元の土豪と交渉し彼らに警護させて一行を安全に通行させているのですが、その功績もあって伊賀忍者・甲賀忍者たちは江戸幕府の誕生の後は伊賀同心、甲賀同心として徳川家に仕えることになるそうです。


TOPへ

最近チェックしたページ

check