マラソン 戦国気分で登山マラソン、鳥取城攻防懐古マラソン

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戦国気分で登山マラソン、鳥取城攻防懐古マラソン

2013年06月17日

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歴史や戦国ブームの昨今、歴史ゆかりの地で開催されるマラソンにも注目が多く集まっていますが、鳥取でも2013年6月16日に「第19回鳥取城攻防懐古登山マラソン大会」が開催されたというニュースが報道されていました。

戦国時代に合戦の舞台となった鳥取市の久松山系を走るトレイルランで、久松山や本陣山などを巡る11・9キロのコースなど4部門に、5~70歳の約60人が参加したそうです。

鳥取城があった久松山や、豊臣秀吉が鳥取城攻めの際に本陣を築いた本陣山などを走り、かつて鳥取を舞台に戦った武将を懐かしんでもらおうと、鳥取市内のマラソン愛好家らで構成される実行委員会により毎年開催されている大会なのだそうで、ホラ貝の音を合図に参加者たちが一斉にスタートするというのはなかなか風情があっていいですね。

ちなみに秀吉の鳥取攻めというのは大体次のような感じです。

鳥取城のあったあたりは昔の国名でいうと因幡(いなば)で、ここを治めてていたのは室町時代から足利将軍家を支えてきた名門の山名氏でした。

戦国時代に入ると天下統一を目指す織田信長の命を受け、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が中国攻めの総大将を任せられ、1580年に山名氏の当主・山名豊国の治める鳥取城の攻略を開始します。

鳥取城は秀吉の謀略が成功し一旦は織田方に服属しかけますが、これに反対した山名氏の重臣、森下道誉、中村春続らが山名豊国を追放。中国地方に一大勢力を築いていた毛利氏に依頼して小早川氏とともに毛利氏を支える吉川氏一門の吉川経家を城番に迎え、秀吉に抵抗を見せたのです。

毛利に寝返った鳥取城を再度攻略することとなった秀吉は、因幡鳥取城とその支城である丸山城を包囲すると、前年に播磨国三木城を攻略するために用いたのと同様に兵糧攻めを計画します。この「三木の干し殺し」と並ぶ「鳥取の渇え殺し(かつえごろし)」と呼ばれる徹底的かつ壮絶な兵糧攻めはすぐに効果を見せ、吉川経家は城兵の開放を条件に切腹を決断。城はあえなく織田方に落ちることとなりました。

この際に秀吉は、海上や河川を封鎖し鳥取城への兵糧運搬ルートを封鎖するとともに鳥取城の東の帝釈山(現在の本陣山)に本陣を据えて2万の大軍で城を囲んだといわれています。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tottori/news/20130616-OYT8T00902.htm

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